メッセージ - B年 年間

マルコによる福音1章29~39節

 

「イエスは多くの悪霊を追い出して、

悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。」(マルコ1,34)

 

この地上に生きる私たちが悪いことに直面したりします。ところで聖書は、初めからそうではなったと教えます。最初は、神が御自身を表現しようとして人を御自分に象り、御自分に似せてお造りになりました。そして、彼らを祝福しました。御手の中で形づくられた人に御自身の息を吹き入れられて永遠の命を与えました。悪霊がものを言う時まで、人間は幸せに楽園に住みました。神様は人の友であって、アダムとエヴァの間に愛における一致の喜びがありました。

悪霊が人間にものを言いますと、人はそれに聞き従ったためにその人生が苦しみと悲しみに満ちるようになって、悪い行いが目立つようになります。創世記にも在るように、アダムとエヴァは神様との関係だけではなく、互いの信頼関係も大自然との調和も難しくなります。悪霊の言葉は人間の耳に美しく響きますが、人間が神無しに自己中心と傲慢の生き方によって幸せになることを薦めます。人生の社会を眺めていると、神無しに幸せになる約束する言葉は何と多いことで、これを追い求める人も大勢います。その中で、悪霊が言うことがあります。人はそれを聞くと権力をふるったり、憎しみ合い、争い合い、妬み合い、また死ぬ悲しみに遭遇します。

イエス様がカファルナウムを訪れた時に、使徒ペトロの家に病気の姑がおり、たくさんの病人や悪霊に取りつかれている人もいました。汚れた霊に取りつかれた人を通して悪霊も言うことがありました。キリストが中にお入りになったので、人間は変わりました。人々の心に隣人愛が強くなり、病気になった使徒ペトロの姑をキリストに委ねるようになりました。イエス様が姑の手を取ることによって彼女を神様と繋ぎました。神の愛を体験した姑は、キリストと人々に自分を尽して奉仕するようになりました。キリストに触った他の病人も同様でした。そしてキリストは悪霊も追い出しました。悪霊が人間を誘惑しないように、イエス様は悪霊どもにものを言うことをお許しになりませんでした。キリストによって神様の支配がはじまり、皆は神様に耳を傾けるべきであり、神の国の到来を実現するためです。

私たちがキリストと一致して生きるならば、悪霊の言うことを聞かないことでしょう。私たちの内におられるキリストも悪霊に言うことをお許しにならず、私たちは誘惑に陥ることなく、悪から救われるのです。私たちにとってキリストがすべてであるならば、神の国が私たちの内に実現されることでしょう。