メッセージ - B年 復活節

 

(ヨハ10,11-18)

「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世が私たちを知らないのは、御父を知らなかったからです。」1ヨハ3:1

普段人間が羊を飼うのは、その毛や肉や乳などのため、要するに自分の利益のためです。羊飼いたちは、羊のために時間をかけて、力を尽くして一生懸命に働くことがあっても、それは最終的に、この利益をより大きくするためなのです。良い羊飼いであると宣言されたイエスは、ご自分のために何の利益をも求めないだけではなく、この羊、つまり私たちのためにご自分の命をささげてくださるのです。

何の利益も求めず、自分より弱いもののために命を懸ける人がいるかもしれないが、イエスは、私たちのために、誰にもできないようなことをされました。それは受肉です。つまりイエス・キリストにおいて神ご自身が人間となられたということなのです。確かにそれは、羊飼いが自ら羊になったような、非常に信じがたいことですが、私たちにとって何よりも大切なことなのです。なぜなら、みことばである神の子が人間になったゆえに、今私たちが神の子になり、神の命にあずかるようになって神の家族の一員になれるからです。それこそ、私たちの救いですし、イエス・キリストがご自分の命をささげていいと思われたほど価値のあるものなのです。

この救いは無償の賜物ですが、それを受け入れるために、羊が羊飼いに従うように、イエスに従わなければなりません。イエスに従うために、私たちが命を犠牲にする必要性がなくても、今まで大事であると思って、力を尽くして手に入れようとしたもの、手に入れてから奪われないように注意を払ってきて、結果的に愛着しているものを手放す必要があるでしょう。ですから、イエスを愛している時だけ、つまりイエスとの繋がりがこの世において最も大切な宝であると確信している時だけ、救いにあずかることができるわけです。