メッセージ - B年 復活節

第一朗読:          使徒言行禄1,1-11

ルカ書物の第二冊目(使徒言行録)の始め(使徒1、1-11)ではルカによるキリスト論が示されている。約三年間続いたイエスの宣教活動の中で、イエスが教えたことと行ったことのすべてがルカの福音書に含まれている(使徒1,1)。これを読めば、イエスが神の子であるということが理解できる。イエスは弟子たちを選び、共に宣教活動をして福音を宣べ伝えるために、彼らに相応しい教育をされた。復活した後に、イエスは弟子たちに現れて神の国について最後の説明をした(使徒1、3)。イエスの最後の命令は、精霊降臨があるまでエルサレムに留まらなければならないというものであった(使徒1、4-5)。聖霊の力のうちに、弟子たちはまずエルサレムで、後にユダヤで、最後には地の果てに至るまでイエスの証人になることができる(使徒1、8)。この必要な準備を終えた上で、イエスは天に昇った(使徒1、2.9.11)。しかし、イエスは全ての人間に深津されるためや裁きするためや心理キリスト者を集まって天国に連れて行くためにいつか再び来られる(使徒1,7.11)。このルカの教えはカトリック教会の信仰宣言と同じである。

 

第二朗読:          エフェソ4,1-13

イエスが天に昇った後、弟子たちが聖霊の力のうちに福音を述べ伝えて原始キリスト教ができた。教会の信者たちはこの世にキリストの体として(エフ4、12)様々な立場を取って(エフ4,11)、完全な人になり、信仰によって一致し、イエス・キリストのことを完全に理解する(エフ4,13)ために一生懸命、信仰の道を歩いていく。この道を歩いていく間に、忍耐や寛容の心、謙虚(エフ4、2)などの心をもって教会の一致を造らなければならない。神は一人、主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つなのだから、この世におけるイエスの体としての教会は一致したものである筈だ(エフ4,4-5)。しかし、この教会論的な教えよりも、イエスが天に昇ったという教えのほうが最も大切なのである(エフ4、10)。

 

福音朗読:          マルコ16,15-20

マルコによる福音書によれば、イエスは天に昇る(マル16、19)前に弟子たちに宣教命令を与えた(マル16、15)。弟子たちの義務は、全世界に行ってイエスの福音を宣べ伝えることであった。この福音を信じて洗礼を受けた人々は、救われた人々である(マル16,16)。イエスを信じる人々はイエスの霊の力で不思議なことを行うことができる(マル16、17.20)。信仰の道を歩いている人は、一人ではなく、いつも主であり復活されたイエスと共に歩いている。