メッセージ - B年 年間

 

テーマ: 「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」(ヨハネ651節)

 

本日の福音は、次のような内容を含んでいます。イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、ユダヤ人はこれを信じることなく、つぶやき始めました。そこで、イエス様は御自身が御父から来られた者であり、御自分の方に来る人が皆、復活の恵みを受けて永遠に生きる者となることを教えられました。出エジプト時代の先祖たちは、40年間砂漠でさまよったが、天から降ったマンナを食べたお陰で約束の地に辿り着くことができました。しかし、誰一人が死を免れることはありませんでした。人は皆、永遠に生きるために、この度、御父が永遠の命の糧としてキリストをこの世にお遣わしになりました。キリストを日用のパンのように頂く人は永遠に生き、このパンは、キリストの「肉」であると言います。

福音の中で語られるキリストの言葉を旧約聖書の文脈の中で理解する必要があります。旧約時代のイスラエル人は、約束の地に向って砂漠を渡っていた時に乾きや飢えなどを覚えていました。モーセが神様に祈ると、朝露と同時に天から白い物が降りると、イスラエル人は、ヘブライ語で「マンナ」―「何だろう」という意味―と互いに尋ねていたので、その不思議なパンを「マンナ」と名付けました。マンナは、その一日のみの糧であり、明日ために蓄えておいてはいけませんでした。明日のことを心配して保管したマンナは腐敗し、病気の原因となったからです。

このようにして、マンナは比喩的に地上の人生を現し、人間のつたない命と無力を表現します。人間は神様無しに、一日も生きることができないことを諭します。したがって、私たちの一人ひとりが生かされていることを、常に神様に感謝し、自分のすべてを神様に委ねるにほかなりません。神様は信じる人の救いのために受肉の神秘によって人となり、マンナのように一日の糧ではなく、御自身が永遠の命のパンと成られました。最後の晩餐の再現である御ミサ中で、キリストはパンを取り、聖変化によってパンの内に御自分の存在を秘め、永遠の命のパンとなります。御ミサの時に御聖体拝領する信者は、「キリストの御体」によって自分の永遠の命を育みます。

キリストは、お与えになるパンは世を生かすためのご自分の「肉」のことであると仰いました。福音の原文であるギリシア語で、神様の被造物である人間の体をソーマ( SOMA)と言いますが、キリストはあえて、御自分の体のことを「サルクス(SARX)」と言われます。即ち、御自分の「肉」という言葉を用いています。サルクス(SARX)は、苦しみ、欲望、罪や死などに遭遇する人の体、また動物の肉を指しています。旧約時代に、ユダヤ人が罪の赦しのために小羊の「肉」をいけにえとして献げていたように、新約時代を始めたキリストは、御自身の体を十字架上のいけにえとして御献げになりました。御自分の内に人類が犯したすべての罪を吸収し、御自分の死を持って罪と死を滅ぼし、御復活をもって私たちに永遠の命を与えてくださいました。こうして、キリスト信じる人は皆、御聖体によって聖とされ、御復活したキリストを生きる者となります。