メッセージ - B年 年間

 

テーマ:「あなたがたは、わたしを何者だというのか」(マルコ8章29節)

 

この主日に朗読される福音(マルコ8章27節-35節)の出来事は、非常に激しく展開しています。イエス様は弟子たちに先ず、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と質問します。「預言者の一人だ」という答えが返ってきました。次に、イエス様は、「あなたがたは、わたしを何者だというのか」と尋ねます。使徒ペトロは、「メシアです」と答えました。キリストはこの答えに満足しています。そして、メシアは救いの業を御自分の受難と復活によって実現されることを説明します。使徒ペトロは同意せず、イエス様を諌めます。キリストは、ペトロに「サタン、引き下がれ」と言って叱りつけます。そして、福音のために命を失う者は、それを救うのだから、自分の十字架を背負って御自身に従うようにと招いてくださいます。

この福音は、キリストに対する正しい信仰を育むためにわたしたちに幾つかの大事なメッセージを与えます。

1.宣べ伝える信者の証し(ケリュ-グマ)から私たちはキリストを知ることができます。しかし、その内容は他人の信仰である自分の知識であり、自分の信仰ではありません。即ち、それは他の人々がキリストについて言っていることに過ぎません。キリストの偉大さは、人間の理性によって把握できるものではありませんので、キリストについて不充分、また歪んだイメージを与えることも少なくありません。キリスト(また神様)に出会った人、神様と交わる人は自分の信仰をもっています。

2.使徒ペトロが自分の出会ったキリストについて「メシア(救い主)」であると証しし、その証しは神様が啓示なさったことに沿っているから正しい信仰を表現します。しかし、使徒ペトロは、信仰表現が正しくても、自分の思いの中でキリストの偶像を作り上げる過ちを犯しました。神様の思った通りではなく、使徒ペトロが自分の考えた方法でイエス様に世界を救って貰いたかったのです。キリストが私たちに望んでいるのは、出会ったキリストに信頼をおいて御心を行うことによって自分自身を救い、世の救いに貢献することです。

3.イエス・キリストは御自分の十字架によって世を救ってくださいましたから、その救いに与るために、わたしたちが自分の十字架を背負って御自身に従うことを救いの条件として与えてくださいました。それを果たすために実践生活の中で次のことを心に留める必要があると促していることでしょう。

*人間は誰でも幸せになりたいです。自分だけの幸せを求める人は不幸です。幸せになりたいなら、人を幸せにしなければなりません。

*人間は誰でも愛されたいです。他人にだけその愛を求める人は嫌われ者となります。愛が欲しいなら、自分で神様と他人を愛しなければなりません。

*誰でも自己防衛の本能が働いているから、自分の命を死から救いたいのです。これに従う人間は自分の誉れを求め、傲慢と自己中心に堕ちいて、空しい人生を送ることになります。他人を生かすために自分の命を尽す人は有意義な人生を送ります。キリストと福音のために命をささげる人は、キリストの御復活に与り、永遠の命を生きる者となります。