メッセージ - B年 年間

 

第一朗読:知恵2、12.17-20

悪い行いをする人々は、二つの道から一つの道を選ばなければならない。一つは悪い行いを捨て、悔い改めて義人として生活する道である。この道は「命の道」と呼ばれる。もう一つは悪いことをし続け、義人に対して攻撃する道である。この道は「死の道」と呼ばれる。義人に対して攻撃することは悪人の悪意から始まり、悪心へと続き、悪い行いに終わる。第一朗読の言葉によれば、悪い人々は自分自身を理解する代わりに彼らの違反行為を指摘する義人を倒すという道を選んだ。悪い人々は、すべての人々は悪いところがあるので、義人も弱いところがあると考えていた。だから、彼らは義人を殺すことを決めた。このことは一般的に現代にも当てはまる事実であるが、この言葉は予言としてイエスの時に実現された。

 

第二朗読:ヤコブ3、16-4、3

ヤコブはこの手紙の受取人だけにではなく、私たちにも直接的で厳しい、けれど正しい教えを伝える。すべての悪いこと(乱れ、戦争、争いなど)の源は人間の妬みと欲望である。自分の意志と自分の思想のとおりに、自分の力で目的を達成することを望んでいる人々は成功できない(ヤコブ4、2)。自分の心の中に平和がない人々は、社会の中でも平和的な生活ができない人々である。ヤコブにとって目的を達成するために必要なことの一つは、神の知恵である(ヤコブ3,17)。この上からの知恵は正しい祈り、すなわち神の栄光のために祈る時に学ばれる(ヤコブ4,3)。

 

福音書:マルコ9,30-37

イエスと一緒に生活し、宗教的な活動をしている使徒たちはイエスがメシヤであるということが理解できなかっただけではなく、メシヤについて自分の考え(イエスの考えとは違う)を持っていた。彼らは心の中にまだ妬みと欲望があったので、自分の目的を達成することに集中した。彼らの目的はイエスの活動によってユダヤ人の社会の中で偉大な人物になるということであった。それだけではなく、十二人のうち誰もが最も偉大な者になりたいという気持ちがあったのでお互いに争った。この問題をもとに、イエスは偉大な人物になるために最も相応しい方法を教えた。すなわち、自分のためより他の人々のために生きる人は一番偉大な人になれるということである。他の人々のために生きるということは、一番上の者として他の人々に命令することではなく、この人々のために働かなければならないということである。イエスは神の子として罪人である人間を永遠の死から救うために自分の命を捧げた。大人の社会の中で子供が大事に育てられることは当然のことであるが、だからといって子供が偉大だとは思われていない。子供のような者でも、すべての僕を受け入れる者は神を受け入れるということである。