メッセージ - B年 年間

 

第一朗読:イザヤ 53,10-11

第一朗読の言葉は、第四僕の賛歌(イザ52,13-5312)の一部である。僕とは、神の僕としてのメシヤのような方であり、彼は神の御旨を完全に行う。しかしそれを実現するために、彼は驚くべき道を歩かなければならない。この道の目的は、彼自身が満足することと、彼の知識によって多くの人々を義とすることである。この目的を達成するために、彼は自分の命をいけにえとしなければならない。このいけにえは、私たちの罪過が許されるのに必要となる捧げものである。自分では罪を犯さなかった僕だが、私たちの罪を彼の咎とした。

この賛歌は救いの道を示している。人間は神の僕の業によって救われた者となった。この僕はイエスである。僕の業というのはイエスの受難と復活のことであった。

 

第二朗読: ヘブル 4,14-16

神の僕、神の子イエスは天に昇り、天国に存在している。しかし、決してこの世を旅する教会と離れているわけではない。イエスはいつも我らと共にいる。イエスはこの世に生きているときに受難にあったことから、人間の心を知っており、人間の弱さに同情できる。罪という点だけは違うものの、その他の点は人間と同じように経験している。イエスは私たちの心を完全に理解することができる。だからこそ私たちは、信仰を堅く守り、常に神のあわれみと恵みを求めていれば、必ず助けを受ける。神はイエスによって人間のために働く。

 

福音書:マルコ 10,35-45

マルコによれば、イエスの弟子たちは最後までイエスの教えやイエスの考え方などを完全に理解することができなかった。今日の福音書の言葉にあるように、ヤコブとヨハンの兄弟はイエスに特別な頼み事をした。彼らは神の国ができた後、イエスに続く二番目と三番目の地位につかせてほしいと頼んだ。この依頼はヤコブとヨハネがイエスの教えを全く理解できていなかったことを示している。彼らにとっては神の国というのはイスラエル王国であるが、それはイエスの教えとは全く異なる。神の国は人間の心の中に存在する国である。つまり、人間が神の御旨に従うとき、その人の心の中には神の国が存在している。神の国の中では、イエスが王である。しかし、イエスが王になった理由は神の御旨通りに人間を救うために自分の命を捧げたからである。ヤコブとヨハネにとって神の国への道は受難の杯であり、イエスのように信仰のために迫害を受けることである。