メッセージ - C年 待降節

 

テーマ: 「その方は、聖霊と火であなたがたに洗礼をお授けになる。」

(ルカ3,16b)

 

本日の福音は、次の内容を含んでいます。ヨルダン川で洗礼者ヨハネが洗礼を授けると罪人は回心しようとして、「わたしたちはどうすればよいのですか」(ルカ3,10)と尋ねます。洗礼者聖ヨハネが回心への道を示すと、人々は彼のことを来るべき方、救い主ではないかと考えるようになりました。そこで、洗礼者聖ヨハネは、自分の授ける洗礼は、水によるものに過ぎないと答えました。救い主イエス・キリストは、聖霊による洗礼と火による洗礼を授けると説明しました。

カトリック教会は唯一の洗礼を信じると告白しますが、その洗礼の中で洗礼者聖ヨハネが述べる三つの働きがあるということを心に留める必要があります。

水は、清める働きと命を支える役割を果たします。洗礼者ヨハネが水で洗礼を授けたことは、神様に心を清めて頂くために、先に私たちに悔い改めと回心が必要であることを教えるためでした。水は命を支える働きがあっても、命そのものを与えることはできません。キリストが教会に託した洗礼を授ける時に水を注ぐと、神様の働きによって、神御自身の霊が降り、受洗者に永遠の命を与えます。ところで、キリストは、御昇天なさった後に、弟子たちに御父のもとから聖霊を遣わして下さいました。これは、聖霊降臨と呼ばれる教会の最初の堅信式です。聖霊が弟子たちに降ると、炎は彼らの一人ひとりの上に留まったと、使徒言行録が教えています。火は、神様の現存と愛の印であり、また光を放ち、人の人生を照らす役割を演じています。

待降節に当たって、私たちは、自分たちの洗礼を思い起こす必要があります。キリストが授ける洗礼を生きるために、先に洗礼者ヨハネが悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。したがって、私たちに回心がなければ、頂いた洗礼の恵みを生きることはできません。聖霊は紳士のような御方ですから、勝手に私たちの心の中で火を灯しません。弟子たちは九日間、熱心に祈って地上でキリストが示した限りない愛を黙想した後、聖霊降臨によって神様の愛の火が自分の心に燃え立たせることができました。

神様が人間になるほど私たちを愛してくださった神秘は御降誕祭です。御降誕祭に向けて私たちは、回心して神様の子供として御父に対する愛を燃え立たせることができますように祈りましょう。