メッセージ - C年 四旬節

 

テーマ:「あなたは神である主を拝み、ただ主に仕えよ」(ルカ4,8)

四旬節の第1主日に当たって教会は、「イエス、荒れ野で悪魔から誘惑を受ける」という福音箇所が朗読されます。この福音の中では、次のようなことが私たちを驚かせます。イエス様が神の子であるにもかかわらず誘惑を受けたということや、人となった神自身を誘惑する強引な悪魔のあつかましさなどです。もう一つの驚きは、悪魔が悪いことをするように唆すのではなく、聖書に書かれた神様の御言葉を用いて、ズル賢い方法でキリストを誘惑するということです。人間に過ぎない私たちはなおさらではないでしょうか。誘惑を受けて負けてしまう私たちは大きな警戒心をもって気を付けなければなりません。

イエス・キリストは、三つの誘惑を退きました。その第一は、「神の子なら、この石に、パンになるように命じたらどうだ。」という誘惑です。荒れ野で40日間祈りと断食してきたイエス様が空腹を覚えていたので、キリストを愛する人もきっと、体の健康を心配して、イエス様に御馳走を食べさせたい気持ちがあることでしょう。別の福音箇所にあるように、空腹を感じた群衆にキリストは、五つのパンを取って、それを増加して5千人を養った奇跡を行いました。同じように、石がパンになるような奇跡それ自体が何も悪くありません。問題は、誰の意志に従がって奇跡を行うかということです。神様の御旨であるならば、それは、偉大な救いの業になります。しかし、悪魔の薦めであるから神様の御心から離れて、死をもたらす悪に近づくことになります。したがって、悪魔が神の言葉を語ろうとも、キリストはその言葉に従わず、誘惑に負けない模範を私たちに示してくださいました。

人祖アダムとエヴァが悪魔の誘惑に負けた罪は、全人類の罪の象徴となりました。悪魔は二人に、神様のようになるという素晴らしいことを薦めました。アダムとエヴァは悪魔の言うことを聞いたから、既に神様の似姿に造られていることを忘れて、神様から離れて神様のようになることに挑戦しました。神様に関係なく栄光を望むことは、人類の悪であり、罪深さであり、永遠の命の源である神様から離れて行くので、人間に死が訪れました。私たちを含めて、いつの時代の人も、神様無しにして自分たちの人生を計画するなら、悪魔の誘惑に負けて罪を犯したりします。そして、神様の怒りを恐れて、親密な愛の関係をますます作り難くなります。

キリストは、人間として私たちに悪魔の誘惑に打ち勝つ模範を示してくださいました。本日の福音のキリストは、洗礼の時に受けた聖霊に満たされたから悪魔の誘惑を退ける力が充分ありました。砂漠の中にいても、「神の霊」が充分だったから、悪魔からのパンもこの世の富も、どんな栄光や支配も必要としませんでした。私たちも、心の中で悪のために隙間もないように、祈りと秘跡を通して自分たちの心も人生のすべての次元も聖霊によって満たされるように呼ばれています。そして、キリストが死に至るまで神様の御旨を探し求めて御父に従順であったように、私たちも神様の御旨を行うことが自分たちの人生の目標と最大の喜びにする必要があります。誘惑を退けるためにキリストが悪魔に返事した御言葉は、私たちにも誘惑に打ち勝つ確実な武器であると思います。

「あなたは神である主を拝み、ただ主に仕えよ」