メッセージ - C年 年間

「グレゴリオ」の名で呼ばれる教会の聖人は何人もいますが、この名前の由来となっている言葉は、ギリシャ語の「グレーゴレオー」です。この動詞が今日の福音の中で使われていて、「目を覚ましている」と訳されています。この言葉の意味は「目を覚ましている」と言っても、単に「眠っていない」「目を開けている」ということではなくて、「用心深くいること」「油断せずにいること」「警戒を怠らないこと」です。

いつ来るか分からない主人を待ち構えて、目を覚ましてぬかりなく備えているしもべのようになるように、また、泥棒がいつやってきてもそれを防ぐことができる家の主人のようになるように、私たちは招かれています。たとえ真夜中であっても、予想しない日であっても関係ありません。仕事にはフルタイムもパートタイムもありますし、フルタイムでも休みの時間、休みの日はあります。けれども、私たちがキリスト者であること、キリスト者として生きることに休みはありません。キリスト者であるということは、日曜日にミサのために教会に行くときだけではなく、24時間、365日、キリスト者として「目を覚まして」「怠ることなく」キリストに従うことです。

毎日の生活の中で、私たちは予想しないとき、思いがけないときに主イエス・キリストと出会います。いつも目を覚ましている、忠実なしもべとしてその時を迎えられますように。