メッセージ - C年 年間

第一朗読:出エジプト17,8-13

紀元前6世紀に編集された出エジプト記には、モーセの生涯やモーセの活動などに関する物語が含まれている。一般的にいえば、出エジプト記の神学的な目的は、ユダヤ人の神、唯一の神が自分の国民を守るということを伝えることである。第一朗読の言葉はイスラエルとアマレクの戦争に関する言葉である。アマレクはエザウの子孫であり、イスラエルの永遠の敵である。この戦いにおけるイスラエルの勝利は兵士の力によるものではなく(17,11)神の業である(17,12)。神の業が現れるように祈る必要があった。モーセが祈っているその時に、ヨシュアは戦っていた。これら二つは相反する業だが、この物語においては互いに関連する業となった。手を上げることが、ユダヤ教では願いや祈りの印であり、モーセの手が上がったままの時にはヨシュアが優勢だったがモーセの手が下がったとたんにヨシュアが劣勢になった。この戦争におけるユダヤ人の勝利は彼らの力ではなく神の業によるものであり、神に与えられたものだった。この物語の意味は、祈りがなければ勝つことはできないということで、それは戦争だけではなく、一般的に人間の人生にも関係することである。

第二朗読:二テモテ3,14-4,2

テモテはエフエソ教会の司教として信者たちに教えと教育を与えるのが義務であった(4,1-2)。そのためにはパウロから教えてもらった福音とキリスト教の伝承に従うことが必要であった(3,14-15)。パウロの言葉によるところのキリストのからだである教会において、個人のキリスト者にとって最も大切なことが二つある。それは学んだ教え、つまり伝統のことと聖書のことである。この二つのことに、この世を旅する教会、そして一人一人の信者達が集中しなければならない。また、この二つのことは信者の力、信者の知恵、信者の目印の源である。信者は、教会の教え、教会の典礼、教会の伝統を学ばければならない。そして、聖書を毎日読まなければならない。

二テモテ3,16‐17をもとに、聖書の霊感に関することについてのキリスト教の教えが作られた。聖書の霊感とは、信仰や心理に関する聖書の言葉の教えに間違いはないというものである。この言葉を学び、それに従い、それを信じ、信者として迷うところがあってはならない。

福音朗読:ルカ18,1-8

いつ何時でも祈るべきであり、 失望してはならないということを教えるために、 イエスは群衆にこのたとえ話をした。一回だけ言われたことはほとんど言われなかったことと同じであり、一回だけ頼まれたことはほとんど頼まれなかったことと同じである。両親と子供の関係を見たら理解ができるだろう。なぜ、長い間頼み続けなければならない場合があるのだろうか。一生懸命祈っている間に、人間の心や人間の態度などは変化する。この変化が起こるように、人間には祈りの内に生きることが必要である。