メッセージ - A年 年間

第一朗読

シラ書は紀元前3~2世紀に書かれた書物である。その頃、パレスチナはセレウコス王国の属国になった。そしてユダヤ人は宗教と先祖の伝承を捨てることを強制されることとなった。シラ書の著者の目的は、先祖の知恵を守ることだ。シラ15,15-20の意味は、罪を犯すことは人間の心が選んだものだということである。つまり、世界には良い道と悪い道があり、一人一人が自由にこの二つの道から一つの道を選ばなければならない。同時にこの二つの道を歩くことはできない。悪を行う人は悪い道を歩いている。善を行う人は良い道を歩いている。人間は選択しなければならない。自分で選択し、自分で責任も取るのである。

第二朗読

紀元2世紀、この頃コリント市は大事な港であった。そのため、ここでは様々な宗教や文化や哲学派の考え方が交錯した。この場所でパウロは知恵を教えた。それは人間の知恵ではなく、自分の知恵でもなく、彼に霊によって明らかに示された神秘としての神の知恵である。その知恵はイエス・キリストの神秘である。キリストの神秘とは、イエスの死とイエスの復活の結果である。この結果、人間が、今は理解できなくても、将来天国に神と共に存在することとなる。

福音書

マタイ5,17-37は山上の説教の部分である。ここでイエスは律法と預言者、つまりトーラ(モーセ五書)について教える。イエスの教えの目的は、ユダヤ教の律法を廃止することではなかった。イエスの活動は、ユダヤ教の律法を守って、その律法を完成するということであった。律法を完成するということは、律法の正しい意味と目的が分かるようになることであり、それは、人間が天の父のように完全な者になるということである。

イエスはユダヤ教の律法に新しく深い意味を与えた。紀元一世紀のユダヤ教信者たちにとって律法以上に大切な事はなかった。律法を守る人が正しい人であり、正しいユダヤ人であると思っていた。しかしイエスにとって、律法を守ることは必要ではあるが、それだけでは足りない。他の人間を認めることが大切なのである。