メッセージ - A年 祭祝日

主の変容の祝日の福音では、イエスが三人の弟子だけを連れて山に登られて、その姿が光り輝くものに変わり、モーセとエリヤが現れた、という出来事が読まれます。それは、この不完全な世界の中で、ほんの一瞬、神の国をかいま見た、そんな出来事だったのではないかと思います。この変容の前に、イエスは弟子たちに向かって、自分がエルサレムに行き、そこで祭司や律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺される、ということを予告しています。そして、その十字架に向かって歩み始めるにあたって、「私についてきたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」とイエスは弟子たちに語られました。ですから、たとえ苦しみを受けて、迫害されて、殺されるとしても、それは無力な敗北ではない、意味のない死ではない、神から見捨てられたわけではなくて、イエスがされることの内に、確かに神の力が働いている、弱い人間の死ではなくて、神の計画にしたがって起こっていることである、これは神が定められたことである、そういうことを変容を通して弟子たちに示すことによって、弟子たちもイエスと共に、苦しみの中でも歩んでいくことができるようにと励ましている、そういう出来事でした。

第一朗読のダニエルの預言も同じです。困難の中で、「幻」という形で、今は見えないけれども確かに神の力が働いていると、神の御旨が果たされるという希望が語られています。

第二朗読のペトロの手紙でも、福音の変容の出来事に触れながら、「夜が明け、明けの明星が昇るときまで」預言の言葉に留意しなさい、と言われています。

私たちも、戦争や、暴力や、災害や、病も死もあるこの不完全な世界の中で、神の働きを見ることができるでしょうか。暗闇の中でも、信じてともし火をともし続けられるでしょうか。