メッセージ - A年 年間

第一朗読 イザ22:19-23

第二朗読 ロマ11:33-36

福音朗読 マタ16:13-30


第一朗読の預言者イザヤに「私は、お前をその地位から追う。お前はその職務から退けられる」という言葉がありますが、この言葉の中の「お前」とは、当時イスラエルの宮廷を支配していたジェブナという家令のことを指している(22:15)。神はイスラエルを支配する権力を家令ジェブナから「ダビデの家の鍵」を支配するはずの王に与えます。残念ながら、22:25にあるように、その王の支配もやがては崩れ落ちるのです。しかし、それでも「ダビデの家の鍵」が失うことはありません。神の民は失望を味わっても完全に希望をなくしたことはありません。新しいイスラエルへの繁栄の希望はやがて「ダビデの子」イエス・キリストの到来によって成就されるのです。

イエスはカフィリポ・カイサリア地方でメシアとしての身分を弟子たちに確かめた後、ペトロに「天の国の鍵」を彼に授けられます。ギリシア・ローマ支配下の時代にフィリポ・カイサリアは神々や皇帝を礼拝する神殿が建てられた町として知られています。その場所で、「イエスこそがメシア、行ける神の子」だと信仰告白したペトロにイエスは天の国の鍵を与えました。ペトロはいろいろな場面で弟子たちの代表として登場する一方、イエスの裁判の時に三度にわたってイエスのことを知らないと否定した弟子でもあります。また、他の場面に、イエスはペトロに対して「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか」と叱ったこともありました。それでも主はペトロに天の国の鍵を渡されたのはどういうことでしょう。

その答えは第二朗読の使徒パウロの言葉にあるのではないでしょう。人間にとっての不条理は「神の富と知恵と知識の深さ」の現われとなることが出来るということです。神は絶望の中にも希望を与えることが出来るのです。人が自分権力や富や能力だけを頼りにし、それらを神のようにすがる中で、神はいろいろな出来事を通してご自身こそが真の神であることを現すことが出来るのです。そして、神は人間の弱さを通してご自身の力を示すことが出来るということです。「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。誰が、神の定めを極めつくし、神の道を理解しつくせよう」と綴ったパウロ自身は自分がたどってきた道、またイスラエルがたどってきた歴史を振り返る時に痛感した真理のではないでしょうか。どんなことがあっても、すべてのものは神の富と知恵と知識の深みの中にいるということです。