メッセージ - A年 年間

今日の福音では、兄弟に忠告すること、間違いを指摘することについて語られています。大切な兄弟だからこそ言うのが大事ですし、言葉を選ばず何でも言えるはずです。関係ない人であれば、わざわざ言わなくても良い、そしてもし言うなら、それは単なる喧嘩になりかねません。ところが、実際のところ親しい友達であればあるほど、人間は関係を悪くしたくないがために、何もきついことを言わないことを選びがちです。しかし、本当はお互い全てを言い尽くして、何も残さず話し合い、場合によっては揉め事も経て、関係は更に親しくなるのが事実です。本当の愛には場合によって厳しい顔、甘やかすだけでなく育てるべき自覚もあります。まさに、マザー・テレサが言ったように、愛の反対は憎しみではなく、無関心です。

面白いことに、この福音には言うことを聞いてくれない兄弟を呼んで、他の2人3人の前で改めて戒めるということが書かれているすぐ後に、祈っている2人3人の集まっているところにイエス自身がおられるということが書いてあります。この類似は偶然ではないでしょう。共同体での様々な人間関係には個々人の祈り、また共同の祈りが欠かせないのです。イエス様との親しい友情を持っている人々は、お互いも近づいていくことになります。現代、political correctnessすなわち偽物の寛容や尊重の名の下で相手に干渉しない、皆が自分のことを自分でやれば良いと思う態度が流行っています。しかし、相手の状況に気を配らず、自分の発展だけを考えること、それはキリスト教的な完全性から遠く離れています。