メッセージ - A年 年間

今日の朗読は、結婚の宴会に喩えながら、来るべき神の国を描いています。それは、神様が限りない憐れみのうちに用意してくださるものです。しかも、よく気づいてみますと、元々の楽園での状態よりも遥かに優れたことを指していることが分かります。なぜなら、万物が創造された時と違って、実現された神の国ではイエス様が花婿として婚礼の主役を務めるからです。

もう一つ心を打たれることは、あらゆる人を誘おうとしている神様の心の寛大さです。神様がせっかく用意してくださったものは、無駄になることはありません。聖書では、もともと入ることにはなっていなかった人を「無理やりに入らせる」という言葉で表しています。そこで、やはり二つのことが重要です。一つは、誰でも神の国に招かれているということです。自分の素晴らしさや能力で得ることのできない恵みに他なりません。それと同時に、もう一つは、その招きに相応しくなるように何らかの努力をしなければならない、ということです。生き方を変えなくても神様が優しいからすべて与えてくれると思うなら、それは大間違いです。

時として誰が救われるだろうとか、キリストを知らない人はどうなるだろう、と考えたり聞かれたりします。今日の福音には答えが見出せるのではないでしょうか。イエス様の招きをはっきりと意識的に断った人でなければ、誰でも子羊の宴で席を用意されています。しかも、そこで食事にあずかるだけでなく、聖アウグスティヌスが解釈しているように、神の子・主イエスに給仕してもらえます。これ以上驚くべき神秘はありません。