メッセージ - B年 待降節

第一朗読 イザヤ40:1.5.9.11

預言者イザヤの書物には、様々な話が含まれており、批判的な話も慰め的な話もあります。今日の第一朗読の言葉はユダヤ人に対して困難な時代に預言された言葉ですが、慰め的な話です。暗い時代に存在したユダヤ人には遠くない将来、唯一神が訪れます。訪れるとは唯一神による罰の時代が終わり、唯一神による慰めの時代が始まるということです。それによってユダヤ人は再び唯一神の祝福のうちに生活することが出来ます。この預言は、ユダヤ人に希望を与えるためというだけではなく人々が必要な準備を始めるようにするために述べられた慰めです。唯一神は必ず来られますが、いつ来られるかユダヤ人には わからないのでその日が来るまで相応しい準備をしたまま待たなければなりません。

福音朗読 マルコ1:1-8

ユダヤ人の歴史の中に唯一神から送られた預言者や王が数多く出現しますが、その歴史においてユダヤ人は常にメシアを待ち続けています。福音書の言葉によれば、洗礼者ヨハネは以前預言者イザヤがしたような預言をしたのではなく、彼はイザヤの預言が完成されたと伝えていました。預言が完成されるということはメシアが来られたことを意味します。洗礼者ヨハネが言うところのこのメシアがナザレのイエスです。預言者より力を持つメシアは唯一神の名によって、彼にしか出来ない業を完全に行います。

第二朗読 2ペトロ3:8-14

ナザレのイエスがメシアであるということを信じているユダヤ人と異邦人からキリスト者になった人々は、現代においてもイエスの誕生日を大事にしており、毎年クリスマスのお祝いを待ち、待降節の時に特別な準備をします。それは宗教的な段階の待降節の理解ですが、ペトロにとってキリスト者の人生は全てが待降節です。というのは、現代のキリスト者がイエスの誕生日を待っているように、イエス・キリストの再臨(イエス・キリストが再び来られる日)を待っているということです。イエスの再臨を完全に準備したまま、平常心で待っていることがキリスト者の待降節です。

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