メッセージ - B年 待降節

朗読: 第一朗読: サム下7:1-5, 8b-11, 16

第二朗読: ロマ16:25-27

福音朗読 :ルカ1:26-38


神は、ダビデ王の弱さにも関わらず、彼に名声を与え、更に彼の子孫が永遠にその王国を継がせることを約束しました。神はダビデの過去よりも、イスラエルの未来を重視します。そして、ダビデに約束した祝福はダビデ自身のためではなく、遠く未来に及ぶイスラエルのための約束です。

その約束は、千年も後にナザレという村にいたマリアという娘を通して実現しました。ユダヤのエルサレムではなく、辺境のガリラヤのナザレ村からイスラエルが待ちに待った約束実現の物語が始まりました。ナザレ村は、今でこそイエスのお育ちになった村として知られていますが、その頃は宗教的にも、歴史的にも何ら重要な場所ではありませんでした。注意を払わないで通り過ぎてしまうような小さな田舎の村だったのです。しかし神様は、このナザレでひっそりと暮らしているマリアという娘に目を留められ、神の子の母としてお選びになったのでした。

マリアがどのような家に育ち、どのような少女時代を過ごしてきたかということは、何も伝えられていません。いきなり登場する田舎娘のマリアに天使は「おめでとう、恵まれた方、主はあなたと共におられます」と挨拶します。更に、天使はやがてマリアの身に起こること、すなわち聖霊によって男の子を産むことを告げました。その子イエスは、父ダビデの王座を継ぎ、その支配は終わることがありません。神は約束したことは必ず実現します。そして、その約束を千年経っても忘れない人々がいたということです。

天使のお告げに対して、マリアは「私は主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように」と答えましたが、マリアは、天使の言葉を全て納得して、そのように答えたわけではありません。かえって疑問が多いです。「どうして、どうやって」、訳の分からないことだらけです。しかし、最終的に「神様のみ胸というのなら、私は喜んで引き受けます」という風にマリアは答えました。神に対する揺るぎない信頼がなければ決して口に出せない言葉です。しかし、その答えによって自分の人生は大きく変わっていくことを、マリアご自身もこの時点ではまだ理解していないことでしょう。

神の計画は永遠に及びます。その計画を理解することはできませんが、神はご自身が計画し約束したことを必ず実現します。そのために、いつどのような状況にあっても、その約束を忘れらない信仰が必要です。そして、「なぜ?、どのように?」と疑問に思っても、最終的に神への絶対的な信頼の内に、マリア様のように、「はい」と答えること必要だということです。

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