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灰の式の言葉は創世記だけではなく、コヘレトの言葉にも同じような言葉が見られます。
「人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ…すべてはむなしく、すべては一つの所に行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る」(3:19-20)

この「人間は塵であって、塵に返っていく」という考えは、古代パレスチナの埋葬の習慣に関係しています。亡くなった人の遺体を作物を育てるのに適したような土地に土葬するのは避けられ、山の洞穴のようなところが墓として使われました。そこで、次の埋葬者が出たときに、前に安置した遺体が少しずつ朽ちていって塵に返っていく様子を目の当たりにすることができたので、人が土の塵に返っていくのを間近に見て感じていたのでしょう。これは土葬していたら見えないことです。

ともかく、灰や塵が示す「私たちの弱さ」とは、私たちが人間として死すべき者である、どんな人間も神の助けがなければ土の塵になって朽ちてしまう、そういう無力な存在にすぎないということです。けれども、キリスト者である私たちにとって、それはただ否定的・消極的な意味ではありません。同時に、本来は塵のような私たちに命を与えられた力強い方が、私たちが塵のように死を迎えた後もまた新しい命に招いて下さっている、その事を思い起こすきっかけにもなっています。この「塵のように朽ち果てていく私たちの無力さ」と「神によって活かされている命」という両面性は、「十字架の死」と「復活」という四旬節と復活祭のテーマと重なっています。

(続く)

 

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