メッセージ - B年 年間

第一朗読:創3,9-15

第二朗読:2コリ4,13-5,1

福音朗読:マルコ3,2-35

イエスの母、兄弟

3:31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 3:32 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、 3:33 イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、 3:34 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 3:35 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マルコ3,31-35)

マルコによる福音書のこの一節を初めて読む人は皆、イエスのこの態度を奇妙に感じるか、あるいは無礼にさえ感じるであろう。しかし、母親や家族に反発することがイエスの本当の目的であろうか。本文を注意深く読めばすぐに、イエスは家族について何も語っておらず、彼らに会いたいとも無視したいとも言っていないことがわかる。この一節にはこの件に関する言及は何もないのである。イエスの母親と家族が彼を取り戻しに来て、彼らの前に出るよう求めたとき、イエスは群衆に教えを説いている最中であった。その家族の要求はイエスの仕事を妨げるものだった。なぜ母親と家族が群衆に交じってイエスの言葉を聞かず、イエスに群衆から離れて彼らのもとに来るように求めたのかという点について、マルコは情報を与えていない。その場所が混みあっていたために、イエスのところにたどり着くのが困難であったとか(その場合はイエスもまた簡単に外に出ることができないであろう)、あるいは彼らがイエスの教えを妨害したかったとか(それは彼らがイエスの伝道を受け入れていなかったことを意味するだろう)、そのような説明をするべきであろうか。しかし、イエスは家族に対しては一言も話さず、逆に家族の意味を両親と同じ血を受け継ぐものという狭義の「家族」から、同じ思想や信仰を共有するものという広義の「家族」へと拡大させた。イエスは言う「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」。これは彼が新たな種類の家族を立ち上げたことを意味するのではあるが、それは伝統的で自然な解釈の家族を廃止するということではなく、共に生活し、共に働く他の人々にまでその定義を広げるということである。それが、キリスト教徒の最初の世代が自分たちを「兄弟姉妹(brothers and sisters)」と呼び合ようになった理由である。また、我々は成長すると家族(母親、父親、兄弟姉妹)のもとを離れ、新たに作った家族(夫、妻、子供)のために生きることになるが、そのことは我々が両親を忘れたり、自分自身の家族に注意を払うあまり彼らをないがしろにするというようなことを意味するわけではない。イエスはその思想、教え、行いによって、すべての人が同じ信仰の絆で結び付けられた一つの新しい家族を作り出した。

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