メッセージ - B年 年間

今回の「王であるキリスト」の祝日にヨハネ福音のイエスとピラトのやりとりに注目したいと思います。

裁判を受けた時に、ピラトはイエスに「あなたはユダヤ人の王なのか」と問いただしました。その質問に対して、イエスは「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者が私について、あなたにそう言ったのですか」とピラトに返事しました。大変興味深い答えです。質問に対して、堂々と質問で返すイエス。返事に困ったピラトは「私はユダヤ人なのか。...」と必死に逃げ切ろうとしています。誰が誰を裁くのか。裁判官と被告人の立場が逆転しているようにも感じられます。「全ての王の王」の前で、やはりローマ支配者でさえたちうちができません。

しかし、私たちはこれで満足してはなりません。向こう側に立っているピラトに対するイエスの質問は、イエスの側に立っている(であろう)私たちに対する質問でもあります。ピラトを困らせる質問は、イエスを信じる一人一人が答えなければならない質問でもあります。「王であるキリスト」を祝っている私たちに対しても、イエスは「あなたは自分の考えで、そういうのですか。それとも、ほかの者が私について、あなたにそう言ったのですか」と問いているのではないでしょうか。

イエスが求めているのは心からの信仰告白です。単に決まりごとや習慣や言われたことに従う信仰であってはなりません。日々の生活の中で、イエスが自分にとっては「王」であるという個人的な経験が求められるということです。

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