メッセージ - C年 年間

今日は久しぶりに何も特別なテーマのない年間の日曜日に戻りました。しかし、実は不思議なことに、先週のキリストの御体と御血の祭日と関連する福音が読まれています。偶然ではありますが、ルカ福音書のほとんど続きにあたる部分なのです。つまり、イエスが弟子たちを周りの町々へ派遣して、自分がそこに行く前に、あるいは行けないところに代わりに弟子を遣わした後、5000人の群衆をパンの増加の奇跡によって満腹させてから、旅に出る決意を固めました。これはルカ福音書のいわば最終楽章であり、頂点に当たります。どの道に出るかというと、言うまでもなく、エルサレムに向かう道であり、苦しみを受ける場所に赴くということです。

今日の福音箇所や他の箇所にイエスに従う人、従いたい人が出てきます。それは、もちろんのこと、どこまでもイエスに従うつもりがないならば、ただ跡を追うということが出来ないし、そうする必要もありません。徹底的にエルサレムまでイエスに従うことしかあり得ません。これはルカの特徴だと言われているぐらいです。狭い門を通るとか、自己を捨てるとかということは他でも強調されていますが、師イエスの同じ運命を被るのはこの福音書による弟子の姿だと言っても過言ではありません。おそらくそのために、先に5000人に食べさせるパンの物語があって、それによって強められた人々がイエスに従うことができるように、また、イエスがエルサレムに向かわれた後に糧として心に残るようにと、その物語をルカが入れているのではないでしょうか。

私たちとイエスとの関係は多重多元的なものですが、ただただ研究の対象や大好きな趣味的な対象であってはなりません。根本的に私たちは同じ使命に結ばれており、もっと厳密に言うならば、イエスの使命そのものに与っているのです。現実的に考えるならば、イエスと同じように私たちキリスト者も世間から拒まれ、迫害されるのは当然でしょう。たとえ「昔の方が良かった!」という思想に縛られ、後ろを振り向きたくなる傾向が多少自然でも、それに惑わされぬように前進する力を主に願いましょう。

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