メッセージ - C年 年間

ラザロと金持ちのたとえ話(ルカ16:19-31)は、私たちの自分勝手な都合の良さを映し出しているかのようです。金持ちは家の門前でラザロが飢えと病に苦しんでいたのに意に介さず、死に至るまで手を差し伸べることもなく放っていたのに、いざ自分が陰府の炎の中でもだえ苦しむことになると、憐れみを求めて叫び声を上げ、また自分の兄弟たちの救いのために助けてくれるよう求めます。

私たちも、自分がつらいときには助けを求めるけれども他人が苦しんでいるときには手を貸さない、自分の罪には目を向けないが他人の過ちはゆるさない、そういったダブルスタンダードを使い分けて、自分に都合良くふるまうことがあります。

隣人の痛みを目の当たりにするときに、自分の痛みと重ね合わせ、自分の痛みとして受け取ることこそ、第二朗読でパウロが語る、「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和」(一テモテ6:11)を追い求める生き方かもしれません。


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