メッセージ - A年 年間

第一朗読 イザ58:7-10
第二朗読 1コリ2:1-5
福音朗読 マタ5:13-16

前日の2月5日に日本の教会は 『日本26聖人殉教者』の記念日を祝いました。26聖人は西坂での殉教の前に京都から長崎へ30日間、真冬の中歩かされました。手は縛られたまま。出発の前に方耳は切り落とされました。西坂の十字架の上までの道のりは長かったでしょう。そして、苦しかったでしょう。一人一人はどのような思いで西坂に向かっているのでしょうか。怖くないのでしょうか・・・。信仰を諦めることは考えていないのでしょうか・・・。怖くないはずはないと思います。それでも彼らは何百キロもの十字架の道を歩き通しました。なぜそれが出来たのでしょうか。その答えは、第2朗読のパウロの言葉と重なっているように思います。「十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたから」でしょう。心に決めた生き方を必死に守り通すことはパウロも26聖人も同じです。そして、それはイエスご自身の生き様そのものです。

洗礼の時に「神の愛する子」と宣言されたイエスは、今日のマタイ福音書にあるように、山上の説教で弟子たちに「あなたがたは地の塩。あなたがたは世の光」と語られました。山上の説教をまとめれば、それは「愛」という一言で集約できます。神への愛と隣人への愛。その隣人愛は敵にまで及ぶものです。これを教えるイエスご自身はやがて十字架の上で自ら実現しました。十字架の上にこそイエスは地の塩となり、世の光として最も輝いているのです。同じように、26聖人もその殉教を通して日本の教会のための「地の塩」となりました。彼らは西坂の十字架の上で日本のためにまた世界のために「光」として永遠に輝いていくのです。

ところで、「地の塩、世の光」となることはどういうことなのでしょうか。第1朗読の預言者イザヤは具体的な答え(するべきことと避けるべきこと)を与えてくれます。「飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと」です。そして、「軛を負わすこと、指を指すこと、呪いの言葉をはくことをあなたの中から取り去る」ことです。これを徹底的に守ることは決して簡単なことではないです。京都から長崎に向かう26聖人の殉教の旅と同じように、最後までやり通すためには自分の洗礼の時に一度「心に決めていた」ことを守る決心が必要です。毎日、毎日、毎日・・・。

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