メッセージ - A年 四旬節

今日の福音朗読の箇所(ヨハネ11:3-7、17、20-27、33b-45)は、ヨハネ福音書11章の本来の非常に長いテキストからいくらか省略されたものですが、それでも普段の主日よりだいぶ長くなっています。それだけ、このラザロに関する奇跡物語に重きが置かれているということです。これは単なる一回限りのいやし、よみがえりの話ではなくて、その背後に、イエスとマルタ、マリア、ラザロの兄弟たちが以前から築き上げてきた友情、その深い人間関係があるからこそ、これほど長い話として描かれています。「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」(11:5)と言われているとおりです。そのため、彼らの親しさを裏付けるような、ラザロの死に直面したイエスの「憤り」「興奮」という言葉で表現される感情がたびたびあらわにされています(11:33、38)。

イエスはマルタ、マリア、ラザロと共に喜び、共に楽しみ、良い時を過ごして良い関係を築いてきたからこそ、ここで、ラザロが死んでしまったときに、憤りを感じるほど、心を動かされています。私たちも、四旬節にキリストの十字架の苦しみに与る上で、まずイエスと、神と良い関係を築くことが大切です。まず日々の生活の中で、喜びや感謝がなければ、自分の十字架を担ってイエスについて行くことはできません。

四旬節には犠牲や節制が勧められ、イエス・キリストの受難や十字架が強調されますが、苦しみ自体が目的ではありません。そこに私たちは愛を見出し、喜びをも忘れずに歩んでいきます。

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