メッセージ - A年 年間

日本語でも使われる言葉の「タレント」は、今日の福音書に出ている「タラントン」と同じ語源で、実際その同じ言葉です。字義的にはあの時代のお金の単位を意味し、1タラントンはかなり高額です。比喩的な意味では、与えられた才能や優れた能力、またはその持ち主を指しています。今日の喩え話は、賜物とそれに付随している役割と義務の分配者である神と対象である信仰者である人間との関係を描いています。取引、商売、会計報告という冷たい計算的・機械的な関係だという印象も受けかねませんが、実はその肝心なポイントは違うところにあるます。

(1)何も与えられていない人間は誰もいません。だいたい自分の可能性に合わせて賜物を与えられます。一番少ないタラントンを与えられた人間でも、当時の雇い人のおよそ16年間の給料に相当していますので、決して小さなものではありません。

(2)それぞれの人から求められるものは、他の人と比較しての何かではなく、与えられた賜物に基づいて計算されるものです。多くのものを与えられた人からはより多く求められます(ルカ12:48参照)。1タラントンをもらった人も5タラントンもらった人も、それぞれその倍だけ返さなければならないのです。

(3)神が信頼を持って与えてくださったもの(能力、時間、物財、人間関係・・・)は、ただ預かって好き勝手に使えるものではなく、それをさらに実らせるために任せられています。物語の最後の人のように、たとえ何もできなかったとしても、せめてそれを別の人に渡して、再投資すれば良いという話です。場合によって、無理してそれを増加させる必要はありませんが、少なくとも減らしてはなりません。もらった分だけ返すというのは、与えられたものに対して全く責任を感じていなかったということになります。

(4)最も大切なこととして、最後の人が叱られる理由は少ない利益を設けたからではありません。むしろ、失敗を恐れてか、挑戦しないままで持っている能力を隠して、とりあえず何もしなければ何も壊さないというふうに考えていたからです。あるいは、神を自分を隠さなければならない恐ろしいもの、気をつけなければならない管理人と考え、もらったのと同じものを返せばそれで済むと思っていたからです。しかし、何もしないよりは失敗する方がマシなのではないでしょうか。

この物語および聖書が呼びかけている神との関係(=信仰)とはそのようなものではありません。それどころか、父なる神の前では本当の謙遜を持って自分の出来不出来を認めて、受けた信頼を信頼で返し、何よりも神から与えられた使命の実行者だけではなく、その共同の管理者として、他人のものをただ関係なく預かっているのではなく、まさに自分自身のものである才能や機会を責任もって利用することへと今日改めて招かれています。

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