メッセージ - A年 年間

福音朗読の箇所(マタイ25:31-46)は、典礼暦の終わりにあたる「王であるキリスト」にふさわしいお話になっています。

羊飼いが羊と山羊を分けるように、王が人々を右と左に分ける。そして王は右側にいる人々に対して、飢えている人、渇いている人、旅している人、裸の人、病気の人、牢にいる人を世話してくれたのは自分にしてくれたことだ、と評価し、左側にいる人々に対しては、同じ状況にあった自分を世話してくれなかったと糾弾する、という話です。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのだ」という言葉が印象的です。

この話は、24章の始めに、終わりの時のことを尋ねた弟子たちにイエスが答える、という流れの中で語られていますので、「最後の審判」についてのお話だと説明することもできます。けれども、私たちが「終わりの時」のことばかりにとらわれてしまっては、この箇所の中心的なメッセージを読み落としてしまいます。

実際にイエスが呼びかけているのは将来のことではなく、決定的なことが起こるのを待つのではなく、今この瞬間、自分の前にいる小さい人に目を向け、手を差し伸べることです。今年の典礼暦は終わりますが、私たちの人生の歩みは止まりません。すぐに次の年が始まります。いつも新しい今日という日、今という時に集中し、そこで出会う人と誠実に関わることを大切にしたいと思います。

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