メッセージ - B年 年間

よくあることですが、今日の朗読は旧約の預言とそれに対応する新約の成就について語り、イエスという実際の模範を示しています。厳密に言えば、神を自分の民に対して代表する指導者の預言とその実現を見せられます。真の主導権や権威は自分で握るのではなく、神によって「呼び起こされる」のです。それから、イエスのように本当の権威は人々を解放しているものです。

さて、先週に続いて、イエスは神の国の到来を宣べ伝えるのではなく、それを具現しているように描かれます。言葉と行いとにおいて、力を発揮しながら、神の国の到来に寄与しています。しかし、その神の国の実現に逆らう力も存在しています。それを今日の福音は「汚れた霊」と表現していますが、悪魔だけではなくあらゆる悪意や利己心や自己中心主義も皆この世に属するものであり、この世を支配する者に従っているものに他なりません。

同時に闇にも光にも生きることはできないのですが、現実として、まだ闇に留まりながらますます光に向かって歩むことはできます。いや、それこそは我々キリスト者の使命であります。停滞することは後退することを意味しますので、(イエスから溢れ出る力で)前進するしかありません。神の国は賢い言葉や合理的な証明で広めるものではなく、それに触れるという経験で広まるものです。

偶然ではないと思いますが、このような神に逆らう力と戦う場面として安息日が選ばれています。天地創造のことをも連想させる安息日は、やはり、混沌(=無)と秩序(=存在)を分ける反面、分離・分裂を乗り越えて別れていたものを一つに集めること(すなわち神秘)を意味しています。神の偉大な業を思い巡らし、味わい、それを讃えるために日曜日以上にふさわしい機会はありません。

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