メッセージ - B年 四旬節

「回心して、福音を信じなさい」。この言葉は、灰の水曜日に灰を受けた時に聞きます。これを聞くと、私たちに求められるのは、先ず「回心する」こと、自分の心を整えることだと理解します。福音を「信じる」ことは、それに続くものです。そう考えるのが自然ですが、信仰生活の中で、その順番は逆だということを私たちは体験しているのではないかと思います。回心するために、信仰が必要です。回心は、自分が向かっている方向が間違っていることに気づくことから始まります。つまり、正しい方向の先にある神様の存在に気づくということです。イエスが呼びかける「回心」は、単なる自分の心の中の動きではないのです。自分への決心のようなものとは違うということです。イエスが公に現れた時に一番に人々に呼びかかけるその回心は、向ける方向が明確です。それは、神様です。その意味で、信仰なしには回心はあり得ないということです。回心するために、先ずは神の愛といつくしみに信頼を置くことが必要です。回心は、その愛といつくしみに対する私たちの応答に他なりません。

第一朗読で、大洪水の後、神はノアとその家族に約束をしました。「二度と洪水で全てを滅ぼすことは決してない」。人間が大きな罪を犯したとしても。「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる」(イザ1:18)。神は、二度とご自分が創造したものを滅ぼさないという約束を守りました。そして、人間を始め、全てを救うために、大胆な方法でさえとるのです。第二朗読にあるように、「正しい方が、正しくない者たちのために死に渡されました」。普通の常識では考えられないことです。死に渡されたイエスが捕らわれていた霊たち(ノアの時代に、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者たち)のところまで行って、宣教されたというペトロの手紙の奇妙な記述は、まさに罪びとを救うために神は大胆な行動さえ取ってしまうことを示しています。

心から神の愛と慈しみを信じるならば、私たちは回心しない訳にはいかないのです。

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