メッセージ - C年 待降節

この待降節第一主日から、教会は新しい年を始めますが、その福音朗読(ルカ21:25-28、34-36)の最後の言葉、「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい」から「いつも目を覚まして祈りなさい」までの部分は、この前日、一年の最後に当たる年間第34土曜日の福音朗読で読まれたのとまったく同じ箇所です。一年の終わりでも始まりでも同じ箇所が読まれるということは、とても興味深いですけれども、それだけそのメッセージが私たちにとって大切だと示しています。

「心が鈍くならないように注意して、いつも目を覚ましている」ということは、もちろん比喩的な意味であって、「睡眠を取らない」ということではなく、「目をつぶったり、目を背けたりしない」、むしろ「目を開けている」、「注意してずっと気をつける、気を配る」、ということです。

私たちは、イエスの誕生を祝うクリスマスに、何を見るでしょうか。イエスがお生まれになった物語を見聞きして、そこにかわいい赤ちゃんが生まれて幸せな家族という、何となく暖かいイメージの他に、見ているものがあるでしょうか。宿屋には泊まる所がなく、寒く汚い馬小屋の中で生まれて、飼い葉桶に寝かせられている、貧しくなられた主イエスの姿を見ているでしょうか。その誕生は皆から祝福されたものではなく、やってきたのは律法を守らずイスラエルの神に従わないとされる外国人や、汚れた者とされ、町から離れて貧しく暮らさなければならなかった羊飼い達だけだったと気づいているでしょうか。そして生まれてからもヘロデ王に命を狙われ、代わりに多くの子供が殺された、その残酷さにも目を向けているでしょうか。赤ん坊であるイエスの姿に、十字架のイエスの姿を見ているでしょうか。

私たちも、クリスマスを祝うに当たって、美しく光る通りのイルミネーションや、綺麗に飾り付けられたクリスマスツリーや、魅力的なプレゼントや、おいしそうなケーキやごちそう以外に、目を向けることがあるでしょうか。

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