メッセージ - C年 四旬節

放蕩息子の譬え話は、間違いなく、福音書の中にある宝石のようなものです。全て無くなったとしても、これさえ残れば、神様の本質について、人間の本質について十分に知ることができます。聞き慣れている人にはピンとこない恐れもありますが、改めて読むことによって重要な点に気付かされます。何がこの物語の主なポイントでしょうか。

まず、言うまでもなく神を象徴している父の家に共にいることに幸せがあるということ。それは、父と共にその全てのものに与りながら過ごし、奴隷としてではなく子として共に暮らすことに幸せがある、ということです。また、一人だけではなく、他の兄弟と共に父の元で暮らし、自分のために欲しがる財産と赦しを他の人のためにも求めることに幸せがあるのです。

本当の主人公は、何も惜しまないこの父親だけです。あとの二人の兄弟は対照的に思われがちですが、実は似たもの同士です。それぞれの悪徳は違えども、二人とも罪人であり、父親の豊かな愛を拒んでいます。一人は物理的に父の元から離れて、別のところで空想の幸せを求めていました。それに対し、もう一人は心の中で父から遠ざらり、不満と妬みと恨みの中に生きていました。ある意味で、目に見える形で失敗し、自分の過ちを肌で感じて、挙句の果て回心した息子のほうがまだマシかもしれません。霊的に死んでいることに気づき、父親の愛を改めて受け入れることができ、まるで新しく生まれたかのような経験はありがたいものでした。他方で、自分が正しい人だと思い込み、大きく失敗する機会や勇気もなく、慈しみを必要としなかった息子のほうが、なかなか救われることは難しいのでした。しかし、物語には結果は書いてありませんので、その人をも含めて、いつかは悔い改める希望を皆持っています。

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