メッセージ - C年 復活節

ルカ福音書によれば、自分たちの目の前でイエスが天に上げられたことを見た弟子たちは、「大喜びでエルサレムに帰りました」。イエスと別れたのに、大喜びした弟子たちのことに違和感を覚えます。

私は2ヶ月ほど前に病気していた母の容態が悪いということでインドネシアの故郷に緊急帰国休暇を頂きました。家に着いてから三日後に母は亡くなりました。目の前に母が息を引き取ったあの場面は、今も私の心の記憶に焼きついています。そして、思い出す度に淋しい気持ちが湧いてきます。

イエスと別れたあの弟子たちはなぜ大喜びで戻ったのでしょうか。もしかするとその答えは、彼らがイエスと別れた後で帰る場所である「エルサレム」と関係しているのではないかと思います。第一朗読にあるように、彼らはエルサレムでイエスが約束した聖霊が来ることを確信しているからではないでしょうか。目の前でイエスは亡くなったが、別の仕方で存在し続けるからです。そして、イエスと離れるからこそ、弟子たちはエルサレムからの新たな旅を始めることが出来たからではないでしょうか。

人には引き際が大事だと言われます。それは去っていく側にとってもそうですが、残される側にとって尚更大事だと言えます。私は母がいない淋しさと同時に以前よりも母が近くにいるという感覚もあります。母と別れたことを喜ぶ日が来るとは思いませんが、去っていくことが母からの最後のプレゼントのような気が致します。