メッセージ - C年 年間

 

 

神に従う人は信仰によって生きる

 

 

第一朗読はハバククの予言です。「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに、いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。」と預言者が主の前に叫び、エジプトとの戦争に負けたユダ部族の嘆きを神の前に表しています。しかし、神はすべての時の流れをことごとく知り、支配し、正しい人は決して滅びることなく、「神に従う人は信仰によって生きる」と預言者を通して新しい希望が伝えられています。

 

「神に従う人は信仰によって生きる」というテーマは第二朗読の使徒パウロのテモテへの手紙の中にも出ています。新司教テモテは、与えられた神の賜物を守り、勇気を持って生かすように励まされています。彼はおくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をもらったからです。福音宣教はイエス・キリストを告白することであり、優れている務めです。

 

ルカによる福音書によると、使徒たちが「私どもの信仰を増してください」と願います。そうしたら、イエスは「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても言うことを聞くであろう。」と教えられます。「神に従う人は信仰によって生きる」という表現はキリストの使徒たちのためにも一番大事な出発点となっています。信仰を持つキリストの弟子は、揺るぎない土台の上に立つことだけではなく、人の救いは神によるものだと知り、自分は「取るに足りない僕」の立場で、楽しむ奉仕者となっています。

 

それでは、自分自身はどうでしょうか。日々の中にイエス・キリストに従い、神様の偉大さ、全能、また慈しみ深いプランを考え、信仰に支えらていると感じてますか。信仰と言えば、神様の存在を信じることだけではなく、神様に信頼することです。このような信仰は、「生きる信仰」と呼ばれ、私たちと神様との強い絆を作るものです。信仰のおかげで、困難を乗り越えることだけではなく、神様の子供であるという意識を持って生き、信仰の喜びを味わうこともできるのです。信仰に支えられる人生はこれほど素晴らしいものなのです!

 

さて、からし種に例えられた信仰は小さくてもこのような力があります。だからキリストの言葉に従う熱意を持ち、感謝を持って、もらった信仰で成長していくことができますように祈りましょう。