メッセージ - C年 年間

今日の福音では、「やもめと裁判官」のたとえが話されています。人を人とは思わない裁判官が、弱い立場で裁判を開くことに何の利益ももたらさないやもめの、しつこい訴えのために裁判を行おうとする話です。このような人を人とは思わない裁判官でも、やもめの訴えを聞くのだから、慈しみ深い神が私たちの祈りを聞かないはずがないということを、そしてこの話を通して、気を落とさず絶えず祈ることの大切さをイエスは教えています。そして福音の中で「神は速やかに裁いてくださる」と教えられています。この「裁き」は弱い人、正しい人を守るための裁きであり、神が私たちを導き、守ってくださることを示しており、これが私たちにとっての信仰です。一方で私たちの生活の中で、祈りではどうにもならないと思われるような出来事も世の中にはあります。そう言った中で私たちの祈りがどのような意味を持つのかという疑問も出てきます。

そのことを踏まえたうえで祈りの意味を考えた時、いつも「希望」を絶やさないことに意味があるように思えます。この福音の場面は、私たちが祈る時の態度を教える一方、キリスト者たちが困難の中にあっても、祈りを通して恵みが与えられるという励ましの言葉にもなっています。私たちがどうにもならないような困難の中にあっても、イエスに従うことを通して、困難の先にある希望に常に心を向けることが祈ることの意味であるように思えます。その希望をイエスは十字架上での死と復活という過越の神秘を通して示されました。私たちも困難の中にあっても、イエスと同じ十字架を担うことを通して、神からの恵みと導きが与えられます。だからこそ私たちは困難の先にある希望に常に目を向けて祈り続ける必要があり、「神は速やかに裁いてくださる」という希望が私たちの信仰であると言えるのだと思います。