メッセージ - A年 降誕節

今日、主の公現の祭日に読まれる福音では、東方の三博士がイエスのもとを訪れる場面が描かれています。三博士たちは星の導きによって、イエスを探し出し、それぞれが黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げます。この贈り物は非常に貴重なものであり、それを贈ることによって、イエスに対する敬意を示します。また三博士たちは、福音の序盤でヘロデ王にユダヤの王を「拝みに来た」ことを伝えており、実際に「ひれ伏して幼子を拝んだ」ことが福音書では描かれています。また夢でのお告げに従って、ヘロデ王のところを帰らず、そのお告げを素直に受け入れ、自分たちの国に帰って行ったと書かれており、政治的な陰謀に与せず、単純に敬意を示すために幼子イエスのもとを訪れたことが描かれています。その後、福音ではこの三博士は出てきていないことからも、この三博士の示した敬意、そして贈り物は裏のない純粋なものであったことが分かります。

さて、わたしたちが生きている社会では、働きに応じた報酬があることが当然です。それはわたしたちが生きるために必要なものでもあります。しかしわたしたちが、イエスに対しての捧げを行おうとするとき、三博士のように対価を求めない、純粋な意味での捧げが必要になります。それはイエスがわたしたちのために無償の愛を示してくださったように、わたしたちも自らの信仰生活をと、その愛に応えるためでもあります。だからこそわたしたちは、人々の間にイエスを見た時、そのイエスに純粋な捧げをすることができるかどうかが大切になってくるのだと言えます。それが、わたしたちがイエスに贈るべき捧げだとイエスのではないでしょうか。