メッセージ - A年 四旬節

新型コロナウイルス感染が比較的に落ち着いてきています。日本社会もポストコロナ時代に入っていきます。少しずつ感染対策が緩和され、コロナと共に生きる社会が確立していきます。しかし、コロナは終息したわけではありません。対策は変わっていきますが、一つだけ確実なことが言えます。それは、感染された人に接触しないようにすることが感染を防ぐ1番の方法です。コロナ菌に触れると感染されるからです。

ところで、第1朗読には、神の言葉を歪みながら人間を誘惑する蛇に対して、女は神の指示を繰り返し、「私たちは園の木の果実を食べても良いのです」と答え、神を弁護しようとしています。しかし、よく聞くと、蛇とのやり取りの中で、神のスポククスウーマンになろうとしている女は神が語らなかったことを一言加えたことが分かります。園の中央にある木について「食べてはいけない。死んではいけないから」という神の言葉に、女は「触れてもいけない。死んではいけないから」と付け加えました。これは、口に漏れてしまった彼女の本音かもしれません。そして、ある意味で、女から生まれた人間の心の現実を表すものかもしれません。その言葉で女は蛇(悪魔)につけ込むすきを与えてしまいました。「人間には触れたがる生き物なんだ!」。そして「それは人間の心の中には絶対的な自由を欲しがるすきがあるんだ。神様のように全知全能になりたがる欲があるんだ」と確信しました。その絶対的な自由は人間にとって「いかにも美味しそうで、…賢くなるように唆すものだ。触れたくなるものだ」。それで、蛇の一押しで女はその実を取って、食べてしまいました。

人間は常に無制限の自由を欲しがるのです。しかし、人間には触れてはいけないものがあります。比喩的な意味でも、文字通りの意味でも。無制限の自由は魅力的ですが、それは人間を滅びに導いていくというのが誘惑物語の教訓ではないでしょうか。同じ真実はイエスの誘惑の場面にもみることができます。人間が自分の本能的な欲望、ニーズ、必要性をその場でインスタントに解決され、無制限に満たされることを欲しがるのを悪魔は知っています。それで、空腹しているイエスにその場でパンを、そして権力と繁栄を約束しました。しかし、触れてはいけない実を取って食べた女と違って、イエスは神の言葉を誠実に守り、悪魔の誘惑を退けました。

コロナウイルスの感染ルートはいまだに明確になっていませんが、もしもそれが野生動物からだとすれば、人間は文字通り触れてはいけないことを触れてしまったということです。そうだとすれば、人間は大自然に対して、他の被造物に対して、また人間同士に対する接し方を今一度振り返らなければ、いつか後戻りができない自滅の道を自ら作ってしまうことになります。

「…触れてもいけない。死んではいけないから」という女、人類の母の言葉、そしてサタンの誘惑を退けるイエスの姿をこの四旬節の間に思い出したいものです。