メッセージ - A年 四旬節

私たちにとって、水は生きていくために絶対に必要なものです。命をつなぐためには、食べ物よりも、まず水分が重要です。福音朗読箇所(ヨハネ4:5-42)の中で、サマリア人の女性に対して、イエスはまさに自分が生きた水を与える者であり(4:10)、イエスが与えるその水を飲む人の内で永遠の命に至る水が湧き出る(4:14)と語ります。

このサマリアの女は、正午ごろに井戸に水をくみに来た、と言われています(4:6-7)。水くみは通常、朝一番にその日に必要な分を確保するために行われたと考えられるので、わざわざ遅い時間にこの女性が井戸に来たのには理由があったのでしょう。井戸端会議というくらいで、井戸はその地域の人々が集まる社交の場でもありますから、そこで他の人に会うのがはばかられたとか、人目につきたくなかったれたのではないか、と言われています。

そうした意味で、彼女は心に何らかの傷を負い、「渇いていた」、生きていくための「水」を求めていた状態でした。しかし、イエスと出会い、イエスが語る言葉に耳を傾け、その結果、彼女は避けていたか、少なくとも疎遠であっただろう町の人々との関わりを回復し、彼らを信仰へと導きます。傷つき孤独であった彼女の渇きがいやされた出来事でした。

現代の日本で暮らす私たちにとって、「水」はそこにあってあたりまえのもので、あることさえ忘れてしまいますが、日々、私たちを生かしてくれる「水」の存在に気づき、その恵みに感謝して大切にしたいと思います。