メッセージ - A年 待降節

 

今日の福音の中では、イエスが通っておられた時に生まれつき目の見えない人に会って、目をお癒しになったと書かれています。目が癒された人は物乞いをしていて、他の人によく知られていた人であったので、突然の癒しは公然の話題となります。さらに、「わたしがそうなのです。」と言い「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」と明かします。

聖書の福音書に記されている人の癒しは、体の癒しだけではなく、心の癒しもあります。それは、信仰による新たな生活を始めることによって、完全な癒しとなります。完全な癒しを受けた盲人は、「あなたは人の子を信じますか」と、キリストが問われた言葉に「主よ、信じます」と答え、キリストの前にひざまずきます。

四旬節は私たちの病の癒しの時期です。自分の心の目を開き、キリストがお示しになった救いの道を見分ける事ができるようにと祈る時間なのです。四旬節の始まりには頭に灰をかけていただき「悔い改めて、福音を信じなさい」と呼ばれました。四週間が経った今日、聖書の言葉に示された信仰の道はどれぐらい進んだでしょうか。回心のための信仰の道は、断食と祈り、聖書の言葉、慈善の業の実行によって進める道です。神様の恵みのチャンスを無駄にしたことはありませんか。そして、第二朗読の中に書かれた使徒パウロの言葉によると、暗闇から光へ進む道なのです。また、キリストが盲人の目につけた土を「行って、洗いなさい」とはどのような意味でしょうか。それは、私たちの暗闇の原因となる罪に気づかせていただき、赦しの秘蹟を受け、信仰の光に照らされる新たな人生のスタートを目指すという意味ではないでしょうか。

それでは、耳の中に響いている神の御言葉を心の中にも響かせていただき、癒された人生になるように祈り求めましょう。