メッセージ - A年 復活節

話し合い論じ合っている二人にイエスが近づいてきたときには、一緒に並んで歩いているのに目が遮られていて、それが誰だかわからなかった。けれども、心が燃えてきた彼らがイエスを引き留め、共にした食事の席でパンが裂かれたときに、二人の目が開け、イエスだとわかったが、その時にはイエスの姿が見えなくなってしまう。目の前にいるときにはイエスだと感じられず、イエスだとわかったら見えなくなる、見えているときは目が遮られていて、目が開かれると見えない、という皮肉な出来事でした。エマオへ向かう弟子たちと復活したイエスとの出会いの有名な物語(ルカ24:13-35)です。

私たちの目の前にあることは事実ですが、見えていることだけが真実なのではありません。私たちの心を燃やすのは、往々にして目には見えないものです。