メッセージ - A年 年間

福音朗読箇所(マタイ10:37-42)の冒頭、「わたしよりも父や母(息子や娘)を愛する者は、わたしにふさわしくない」は、非常に厳しい言葉を突きつけられたように感じます。けれども、「愛」の意味を少し掘り下げると、感じ方も変わってくるかもしれません。

イエスが語られる「愛」は、単に感情的に「好き」であることではないと言われます。キリシタンの時代には、「愛」は「ご大切」という日本語に翻訳されたそうです。「愛する」とは「好きになる」ことではなくて、目の前の相手を「大切にする」ということです。ですから、たとえその相手を心情としては好きではなかったとしても、自分とは関わりがなかったとしても、敵であっても、愛することができます。

そして、イエスが「わたしを愛する」と言うときの「わたし」は、ここでイエス個人だけではなく、「あなたがた」(=弟子たち)や「わたしを遣わされた方(=父である神)」、更には「小さな者の一人」と重ね合わされます。

血のつながった家族を大切にするのはあたりまえです。けれども、わたしたちはそのまなざしを、心づかいを、もっと外に広げていくように招かれています。隠れたところで小さくなって愛に渇いている人に、嫌いで見たくもない人に、キリストの「愛」を向けるように呼ばれています。