メッセージ - A年 年間

日々忙しく慌しい生活をしている私たちは、やはり一週間に一度ぐらいは、ゆっくり体も心も休ませる時間が欲しいと思います。そのために、多くの人は日曜日を休みの日として取っています。その一日にしっかり休みを取れば取るほど力を溜め、エネルギーを得ることができると思っています。しかし、よく考えて見れば、日曜日にしっかり休みを取るからと言って、必ず力を溜め、エネルギーを得ることができるとは限りません。なぜなら、エネルギーや活力、健康や意思は人間の作るものではなく、全ては恵みの源である神から与えられるものだからです。

「休日」とは英語で、Holidayと表します。Holy-Dayそれは「聖なる日」なのです。キリスト教はイエス・キリストが復活した日曜日を「聖なる日」としてミサを捧げます。また、「休暇」とは英語で、Vacationと表します。このVacationの動詞は、Vacateと言い、それは「空にする」という意味です。つまり、休暇の楽しみRecreationRe-Create(再び創造する)」となります。本来、休息とは、心を空にして、新しく創造される聖なる日なのです。

教会は、ミサや交わりを通して、疲れきった心を空にして神様の霊を吸い込み新しく創造される場なのです。きょうの福音(マタイ171-9)によると、日々の宣教活動のため疲れ切っているペトロたちを見たイエスは、すぐに高いタボル山に連れて行かれたのです。この聖なる山で主イエスはペトロたちに神の栄光を表し、生きるエネルギーを授けてくださったのです。喜びに満たされたペトロはイエスに、「主よ、わたしたちがここにいるのは素晴らしいことです。」と告白しました。このペトロの信仰告白を別の言葉で表現すれば、「主よ、この聖なる場所に連れて来てくださったことを感謝します。この場所であなたの栄光を体験し、疲れきった心に満ち溢れる恵みを授けてくださったことを感謝致します。本当に、今まであなたに従って来たこの人生は無駄ではありません。」と言えるでしょう。

教会はある意味で現代のタボル山です。私たちはイエス様に招かれ、特別に選ばれて、教会まで連れてきていただいた者です。教会で、主イエスは、私たちに神の栄光を示し、ご聖体を通してエネルギーを授けて下さるのです。是非、きょうのペトロの信仰告白をいつも自分のことばとして、主の前で「主よ、この素晴らしい場所に連れて来てくださったことを、感謝致します。この場であなたと出会って、本当に幸せです。ミサに与ることによって、あなたの栄光を体験し、ご聖体を頂くことによって、エネルギーを得て、生きる希望に満たされました。どうぞ、主よ、いつもこの場所に連れて来てください。」アーメン