メッセージ - A年 年間

先週の「ぶどう園と農夫」の例え話に続き、今日の福音箇所でもイエスは「婚宴の例え」を用いて、天の国について、そしてそこに招かれる人について説明しています。この箇所では、最後の一文「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」という言葉が、非常に大きな意味を持っています。

今日の例え話に出てくる王は神であり、婚宴を行う王子はイエスのことを指していると考えると、この話は、神が独り子イエスのための婚宴、つまりイエスを迎える日を用意し、そこに人々を招待したものであると想像できます。あらかじめ王がこの婚宴に「招いておいた人々」は、誰一人としてその招きに応じず、みな自分のことを優先しました。この人々は「ふさわしくなかった」と明言されています。その後、善人も悪人も、大通りにいた人々は全てこの婚宴に招かれましたが、礼服を着ていない人は、外に放り出されてしまいました。招きに応じた人の中でも「ふさわしくない」人が選別されたわけです。要するに、この例え話では「招き」に対する「応答」が重要であると言えるでしょう。

神の呼びかけ、招きは、私たちすべての人間に対して行われていますが、この招きをありがたく思う人もいれば、まだ自分では気づいていない人もいます。ただ、それだけではなく、私たち人間の応答がふさわしいものか否かも判断されているのです。こう考えると、とんでもない無理難題を押し付けられているかのように思えてきますが、決してそんなことはありません。今日の例えの中で「ふさわしくない」と判断された人々は、自分に求められている「招き」に気づいていながらも、自分のことばかりに目を向け、応えることを拒否した人々でした。確かに私たち人間の日常を鑑みても、自分自身のことで精いっぱいで、なかなか神への応答についてじっくりと考える余裕はないかも知れません。一方で、自分が助けてほしいときには神に多くのことを願い求めてしまいます。人間とは、そうした弱い存在です。それでも神はいつ何時どこでも私たちの願いや訴えを聞き入れてくれています。ですから、私たちも、そんな神に感謝をしつつ、ほんのわずかでも、神からの呼びかけに対して応える、あるいは応えようとすること、神は自分に今何を求めているのだろうか、自分はその求めに正面から応えることができているだろうか、と考えてみること、このことが神の前にふさわしい応答をするに繋がる一歩目となるのだと思います。

私たちがこの例え話から得られるメッセージを、自分自身に向けられたものとして受け止め、これからの生活の中で活かしていくことができるように、そして神にふさわしい応答を行う人間となっていくことができるように、共に祈りながら、改めて今日の福音箇所を黙想してみましょう。