メッセージ - A年 年間

ラテン語の名句のひとつに、「Pro Deo et Patria」があります。あまり聞き慣れない言葉だと思いますが、「Pro Deo et Patria」とは、「神と国のために」という意味です。このメッセージは、「良い信者でありながら、良い国民であるように」ということです。つまり、キリスト者として、一方だけを大切にして、他方を無視してはいけないということです。言い換えれば、「国民」として、私たちは社会の中に生き、社会と関わっているので社会のことを大切にしなければなりませんが、同時に「教会の信者」として、教会のことに関わっていかなければならないということ、人生の中で両者のバランスを取る責任があることを意味しています。

今日の福音書では、ファリサイ派とヘロデ派の人たちが主イエスに、「先生、皇帝に税金を納めるのは律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」と聞きました。この質問に対して、主イエスは、賢い判断を示してくださいました。主イエスは、デナリオン銀貨を手元において、肖像や銘を確認した上で、「皇帝の肖像や銘なら皇帝に、神の肖像や銘なら神に返しなさい」と言われました。では、銀貨には皇帝の肖像や銘がありますが、神様の肖像や銘はどこにありますか。それは、私たち人間の中にあります。なぜなら、私たちは神の似姿に創られた者だからです。さて、私たちが神の似姿に創られているのであれば、神に何かを返さなければならないと思います。それは、何よりもまず、私たちの命、全身,全霊、すべての意志や自由、思い、言葉、行い、いわゆる私たちの全生涯を神に捧げなければならないということです。これが、「皇帝の肖像や銘なら皇帝に、神の肖像や銘なら神に返しなさい」と主イエスが言われた言葉のひとつの意味だと思います。

もうひとつ、共に考えたいことは、この主イエスの、「皇帝の肖像や銘なら皇帝に、神の肖像や銘なら神に返しなさい」という発言です。これは「宗教と政治:教会と社会」を区別するという意味ではなく、むしろ、どちらも人生において必要なものであり、両方とも大切にしなければならないということです。

簡単に言えば、私たちは良い国民として税金を払わなければなりません。また、良い信者として維持費を払わなければなりません。良い国民として、社会の事に積極的に関わらなければなりません。また、良い信者として教会の活動に積極的に関わらなければなりません。

教皇フランシスコは2023年8月31日‐9月4日にかけて、モンゴルを訪問されました。最後の日に取り行われたミサの終わりに、中国国民に向けて挨拶をおくると共に、中国のカトリック信者らに励ましの言葉を述べられました。教皇フランシスコは、「わたしは中国の高貴(こうき)な国民に、心を込めて挨拶をおくりたいと思います。すべての国民の皆さんに、より良いものを、常(つね)なる前進(ぜんしん)と発展(はってん)をお祈りいたします。そして、中国のカトリック信者の皆さん、よいキリスト者であると共に、よい市民であってください。」と述べられました。

皆さん、「空の鳥は高く飛ぶために二つの翼が必要」です。私たち自身も、生きていく中で、人生のバランスを取らなければならないと思います。国に対しても、教会に対しても、両方とも大切にしなければならないのです。一方を大切にして、他方を無視したり、ないがしろにしたりするなら、人生のバランスが崩れてしまうと思います。

どうか、「良い国民」でありながら、「良い信者」でありましょう。

アーメン。