メッセージ - B年 待降節

今日から待降節に入り、教会の暦の上では新しい年に入りました。そんな今日の福音箇所は、この待降節という時期に私たちが思い起こすべきこと、再確認すべきこと、そうしたことを伝えている箇所であります。待降節の第一主日、というのは毎年同じテーマの福音が読まれます。それは今日の福音でも大事な言葉である「目を覚ましていなさい」というメッセージであります。これは毎年年間の終わりの最後の一週間に読まれる、世の終わりであるとか、解放の時が来るとか、そうしたいわゆる「終末」というものをテーマにした朗読箇所の言葉を、新しい年に引き継がせる形で、今日のこの待降節第一主日に繋げているわけです。

今日の福音の中で、私たちが心に留めるべきは、やはり「目を覚ましていなさい」というイエスの教えであります。目を覚まして何をするべきか、というと、いつ来るかわからない主人の帰りを、自分たちに割り当てられた仕事をしっかりと果すことですが、このことイエスは弟子たちに教えています。第二朗読のパウロの手紙にもあるように、全てのキリスト者は「主イエス・キリストの現れを待ち望んでいる」わけですから、その時がいつ来てもいいように、イエスに教えられたことをしっかりと守って備えていること、この大切さを今日の福音は伝えているわけです。このことは、「いつ来るかわからない」日に備える注意喚起であると共に、それはいつでも来る可能性がある、という希望を示しているものでもあります。

ただ、こうしたメッセージを私たちが待降節の始めに読むことには、もう一つ確認すべきだという意味があると思います。私たちが待つ「イエスが来られる日」というものは、これから準備していくクリスマスによって、一つの形として表現します。待降節は、その日に向けて心を整えていく時間でありますが、同時に私たちはイエスが来られる、ということを、一日だけのイベントのように捉えてはいけないのだ、ということを理解しなくてはならないと思います。毎週日曜日が主日、つまり主の日とされているように、主イエスは常に、今この瞬間にも共にいるんだ、ということ、このことにもっと私たちは日常から目を向けるべきであると、待降節そしてクリスマスという時間に思い起こす、そうした意味も今日の福音の「目を覚ましていなさい」というメッセージに込められているのではないかと思います。

イエスの誕生の話では「インマヌエル」、主は我らと共におられる、という言葉がありますが、その言葉通りの日々を私たちが生きることが出来るように、そしてまたいつでも「目を覚まして」イエスの教えに従った生活、行動を心掛けて行くことが出来るように、神の助けを願いながら、今日から始まる待降節をよりよく過ごすことが出来るよう祈りたいと思います。