メッセージ - B年 待降節

イスラエルの歴史の中で、神はご自身が「共にいる神」だということを示しています。第一朗読に、繁栄したダビデ王が「神の家」を建てる計画をしていた時に、神は預言者ナタンを通してダビデ王にその計画を考え直すように語られました。ダビデは神の家を建てようとするが、それよりも大事なことを忘れているからです。ダビデ王は神の家を建てることで、神がイスラエルの王や民の間に留まるようにしたかったのです。しかし、神が彼とずっと共にいることを忘れています。偉大な王になったダビデが忘れているのは、自分を「牧場の羊の群れの後ろから選んだ」のは神ご自身です。サウルに変わってイスラエルの王にしたのも、神ご自身です。そして、彼の敵を抑え、偉大な王たちに並ぶ繁栄を与えたのも、神ご自身です。神が彼と「共にいて」くださるからです。神はダビデ王がまずその確信をしっかりと心に銘記して欲しかったです。

結局、神の家を建てる計画はダビデの息子ソロモンによって実現されました。しかし、ダビデ自身も、息子ソロモンも、そしてイスラエルの民の心は、神からどんどん離れていくのです。その神の家、神殿が破壊された後、建て直されました。しかし、さまざまな辛い経験に直面する中、イスラエルの民の心の中には、神が「共にいる神」であるという確信が次第に薄れていきます。

長い歴史を経て、その確信が消えそうになった時に、ガリラヤのナザレで天使ガブリエルは一人のイスラエルの娘、マリア様に告げました。「恵まれた方、主はあなたと共におられます」と。ダビデ王を含め、いく世代ものイスラエルの民が忘れそうになった「共にいる神」への希望を捨てなかったイスラエルの娘がいます。その娘、マリア様ご自身は決して楽な状況の中にいるわけではありませんでした。結婚をしていないのに子供を産むという使命を受けるべきか、難しい決断に迫られました。理解し難い天使の言葉をマリア様は素直に受け入れることが出来ませんでした。しかし、戸惑いながらも、マリア様は「私は主のはしためです。お言葉どおりになりますように」と答えました。その言葉がマリア様の口から出ることが出来たのは、「主があなたと共におられます」という天使の言葉が単なる形だけの挨拶ではなく、マリア様自身の確信、マリア様が日々培っている信仰だからではないでしょうか。

マリア様が天使のお告げにすべて納得した上でイエスを産むことを受け入れたのではありません。恵みを受けるためには、全てのことを納得する必要はないです。マリア様の中に大きな疑問が残ります。その疑問は、馬小屋で産まれた我が子を飼い葉桶に寝かせた時に更に深まっていきます。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。神は何を望んでいるのでしょうか。しかし、十字架の傍らでそれらの疑問が解ける時まで、マリア様はその全てを静かに心の中に思い巡らすことが出来ました。「神があなたと共におられます」という天使の言葉をマリア様は確信しているからです。

もうすぐ来る「インマヌエル、共にいる神」を心から迎えることが出来ますように。