メッセージ - B年 年間

2001年1月26日、東京のJR 山手線新大久保駅で発生した電車の人身事故のことをご存じでしょうか。19時すぎに、酔っ払って駅のホームから線路に転落した男性がいました。それを見た日本人のカメラマンと韓国人留学生の二人は、その男性を救助しようとして線路に飛び降りました。残念なことに、3人とも進入してきた電車にはねられて死亡したという事故がありました。似た出来事が2012年に横浜でも起こりました。父親が運転する車の助手席に座っていた女性が、電車の踏切で倒れていた男性を見ました。「助けなきゃ!」と思った彼女は、即座に車から降りて、遮断機をくぐって、踏切内の男性の救助に向かいます。男性は助かりましたが、残念ながら彼女は犠牲となりました。

心理学の実験によれば、人間は目の前に困っている人を見ると、反射的にその人を助ける行動を取ります。しかし、助けるべきかどうかと考えるための時間を与えると、自分にとってのメリット・デメリットを計算してしまいます。そして、デメリットが大きい場合、助けないことが多いです。

今日の三つの朗読に共通するテーマの一つは、呼びかけにすぐに答える、使命をすぐに答えることです。第一朗読では、神はヨナにニネベの人々に回心を呼びかけるために、「直ちに」出発するように命じられます。第二朗読では、パウロはコリントの信徒たちに、主が訪れる時が「迫っている」ことを警告して、妻のある人はない人のように、物を買う人は持たない人のように、今の状況に縛られないように呼びかけています。福音朗読では、イエスの呼びかけを聞いた二組の兄弟は「すぐに」網や船、親や職業を捨てて、イエスに従ったと、マルコは伝えています。まさに、神の呼びかけに対する理想の反応です。しかし現実的に考えると、必ずしも誰もが実践できるようなことではないです。ニネベの人々に回心を呼びかけるヨナ自身は、最初にその使命に逆らおうとしました。その結果、海に投げられ、魚の腹に三日三晩いたということになりました。ヨナのように、多くの場合、私たちは目の前に果たさなければならない使命に、何とか逃れようとする、あるいは何とか引き延ばそうとする傾向があります。

偉大な聖アウグスティヌスも同じです。彼は代表作の『告白』のなかで、次のような祈りの言葉を書き残しました。“Da mihi castitatem et continentiam, sed noli modo”「主よ、清さと節制を私に与えてください。しかし、今ではない」。アウグスティヌスもそれまでの生き方を捨てて、清らかな人になりたい、神様に自分を与えたい、全てを捨てて主に従いたいと考えています。しかし、心のどこかで常に自分のための部分を残しておきたい。もう少しだけ自分の意志を通したい。いつかは全てを捨てて主にだけ仕えたいが、それは「今、すぐ」ではない。アウグスティヌスの気持ちに私たちも共感できると思います。しかし、最初の弟子たちと同じように、主は私たちから今ここで徹底したコミットメントを求めています。

アウグスティヌスの言葉に共感しながらも、無条件に今ここで、目の前にある使命を果たしていく勇気と力が与えられますように祈りたいものです。