メッセージ - B年 四旬節

日本では8月11日は、国民の祝日で「山の日」となっています。国土の大半が山であるこの国で、私たちは、山からたくさんの恩恵を受けて暮らしています。「山の日」は、山に親しむ機会を得て、山の恵みに感謝することを目的に制定された祝日だそうです。また、富士山をはじめ、古くから日本には山岳信仰が根付いています。こうして日本のみならず山は、聖なるところだと人々に信じられてきました。ですから山は、人々にとって祈り、慰めの場所でもあります。しかし山の頂上まで登るのは、簡単な事ではありません。登頂するまでには、たくさんの困難が待ち構えています。

今日のマルコ福音書には、タボルという山の上で、「主の変容の出来事」が起こったことについて記されています。「タボル山で、イエスが祈っておられるうちに、顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」というエピソードがありました。この光景を見たペトロはすっかり驚き、「先生、私たちがここにいるのは素晴らしことです。仮小屋を三つ建てましょう」と言い出しました。

実は、このペトロの発言を考えてみると二つの思いが含まれています。まず、一つ目は、ペトロはイエスの変容の出来事に非常に驚き、ずっと体験したいという気持ちがあり、できれば長くこのまま山で過ごしたいから、仮小屋を建てたいという願望を自発的に表明しました。そして二つ目は、ペトロ自身が山の上に少しでも長く静かに暮らしたいという理由から辛くて苦しい現実から逃げたいという思いです。彼は、日常の悩みや苦しみに満ちている現実の生活に戻りたくなかったからずっと山にい続けたいと感じていたのでしょう。

皆さん、一度きりの人生で、失敗せずに生きていくことは不可能です。人生において、「山あり、谷あり」ということわざがあります。つまり、人生には、誰でも幸福な時があり、不幸なときもあるのです。喜びのときがあり、悲しみのときもあるのです。成功するときもあり、失敗するときもあります。しかし、失敗してもそこから学ぶ事がきっとたくさんあります。確かに、試練はどのようなものでも、それを受ける人には、好ましいものではありません。しかし、試練を通してしか、養えないものがあるのです。

主イエスは、タボル山で自分の変容をお示しになった後、次は、ゴルゴタへ向かって行きました。つまり、キリストご自身は復活の栄光を受けるために、ゴルゴタの受難の道をたどり、十字架の苦しみや死を受けなければならなかったのです。同じように、私たちの人生も、成功や栄光を達成するために、多くの挑戦、犠牲、葛藤が必要です。

皆さん、人生にはタボル山の変容という幸せなこともあり、ゴルゴタの丘のような十字架もあります。ですから、どうか、イエス様の模範に習い、試練や困難に直面した時、嘆き逃れようとするのではなく、心を開いて、素直に受け止め、キリストと共に十字架の道を辿るなら、癒しや救いの恵み、また人生の栄光が輝いてくると信じて、心新たにして四旬節を過ごしてまいりましょう。