メッセージ - B年 復活節

きょうの福音で描かれている主イエス・キリストのご復活の出来事において、注目したいことは「ペトロの存在」です。ご存知の通り、ペトロは最後の晩餐の直後に主イエスを否定して、打ち消しました。それは本当に残念なことだと思います。今まで家族から離れて、自分と兄弟アンデレとともに、ずっとイエス様と他の10人の弟子とともに生活していました。また、ともに宣教活動をしていましたが、最後の最後に、信頼関係を破ってしまいました。ペトロは人々の前で、「イエス?あの人は知らない」と三度も否定しました。本当に残念というよりも、悲しかったでしょう。

しかし、この弱い人間であるペトロ自身は、その後に「自分の罪を認め、失敗を自覚して、そして、気持ちを切り替え、回心しよう」と決心しました。この「立ち上がった姿」がペトロの新たな人生の出発だと思います。このペトロの出来事という「気持ちを切り替え、立ち上がったこと」とは、現在の私たちの復活の意味だと思います。つまり、私たちの「復活」とは、遠い先に訪れる「永遠の命の復活」を準備する意味と捕らえるのではなく、「現在の人生の人格的なチャレンジ」ということを意味します。自分の、人生の暗闇の束縛から解放されるように自信を持ち立ち上がって、取り戻し、やり直すということなのです。人生の暗闇の部分とは自分にとっての欠点、みにくさ、罪深さに対する苦しみ、などです。これらの心の重いふたを解放し、解き放つという内面的な力が、これが「復活だ」と思います。もう一度立ち上がって、一歩前に進んでいくということです。

一つの名言があります。「生きる上で最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではなく、転ぶたびに、起き上がって、歩き続けることにある」と。どうか、ペトロの模範に習い、自分にとっての「欠点、みにくさ、罪深さに対する苦しみ、などなど」、これらの「心の重いふた」を、脱ぎ捨て、復活の信仰の内に、「新しい自分」という「内面的なチャレンジ」を身につけましょう。アーメン。アレルヤ!“主のご復活、おめでとうございます”