メッセージ - B年 復活節

聖書によると、復活したイエスは40日にわたって弟子たちに姿を現した後、天に上げられました(使徒言行録1章3-11節)。昇天祭は、キリストの復活が何よりも時空を超えた神秘であることを明らかにします。そして、「主の昇天にわたしたちの未来の姿が示されています」と祈り、わたしたちがそのすばらしい神秘に招かれているという確信を新たにするのです。つまり、主の昇天は私たちの命の旅路のラストステーションであることを示されています。

主の昇天において、興味深いところはルカ福音書24章50節-51節のところにあります。主イエスは、弟子たちをベタニアまで連れて行かれて、そこで手を上げて弟子たちを祝福してくださいました。そして、祝福しながら、天国に出発したというエピソードでした。

なぜ、主イエスはエルサレムで出発して天国に上げられたのではなく、わざわざエルサレムから約2,8km離れたベタニアへ行って、そこで天国に出発したのでしょうか?聖書には詳しく説明をしていないのですが、イエスはそこに「連れ出す」ことによって、使徒たちにその特別な意味を悟らせようとしたと思います。

まず、「ベタニア」という名は、「いちじくの家」、あるいは、「悩みの家」「貧困の家」という意味です。そして、「ベタニア」は命を回復する象徴的な場所なのです。この名前から、ベタニアと呼ばれる地域で、洗礼者ヨハネが悔い改めて神を信じた人々に洗礼を授けたことが分かります。またベタニアと呼ばれる場所で、イエスはラザロを死からよみがえらせました。ですから、「ベタニア」という名は、「命を回復する象徴的な場所」であることがよく分かります。

上記の名前の意味に基づいて考えるなら、キリストに命じられた宣教の目的は誰よりも、まず、「悩みや苦しむ人々、悲しみや貧しい人々の命の回復」だということです。だから、主イエスはわざわざ弟子たちをベタニアまで連れて行かれたことはとても象徴的だと思います。福音の恵み「喜びの知らせ」はすべての人のためですが、その人たちいわゆる「「悩みや苦しむ人々、悲しみや貧しい人々の命の回復」を宣教の第一目的にしなければならないということです。

この世界には、恵まれない人々が多くいると思います。どうか、私たちが神に用いられて、その人々を助ける者、福音の喜びを伝える者、そして励ましとなることができますように。