メッセージ - B年 年間

今日祝う『キリストの聖体』の祝日は、13世紀からカトリック教会で祝われるようになりました。最初はベルギーで始まりましたが、その後広がって、当時の教皇様が全教会に祝われるように定めました。その名前の通り、『キリストの聖体』の日に、私たちはイエスが最後の晩餐でご自分の体と血を生きる糧、永遠の命の糧として与えてくださることを記念します。マルコ福音書にあるように、イエスは最後の晩餐でパンを取って『これは私の体』、杯を取って『これは私の血』『これを取って食べなさい。これを受けて飲みなさい』と弟子たちに言われました。この言葉はミサごとに司祭の口を通して記念されて、繰り返されるだけではなく、再び再現されます。つまり、この言葉が初めてここでイエスご自身が言われているかのように、今イエスご自身がここで最後の晩餐を行われているかのようにごミサを祝うということです。

人の口から出る言葉が力ある言葉と言えるのは、その言葉が現実と一致し、その言葉が行動を起こすことが出来るからです。ご自分の体と血を与えるイエスの言葉は真実の言葉、力ある言葉です。それは、その言葉がイエスの思いそのもの、イエスの行いそのもの、イエスの生き様そのものだからです。『これを取って食べなさい。これは私の体である。これを受けて飲みなさい。これは私の血である』という言葉は、最後の晩餐で終わるものではありません。すぐその後に、イエスは十字架の上でご自分の体を張って、私たちの身代わりとなりました。ご自分の血を流して、私たちの罪を洗い清めました。

ご聖体の時に私たちはイエスの体を自分の中に受け入れることになります。しかし、それはイエスがその前に罪にまみれている私たちを先に受け入れたからです。人は自分の体を張って、あるいは自分の体を与えるのは、愛する人、大切に思う人、心から受け入れる人にだけです。神様も私たちを愛し、大切に思うからこそ受肉されて、人となられました。そして体を持った受肉した神、主イエスは、十字架の上でその体を私たちのために与えつくしました。ごミサの中でイエスご自身の言葉によってパンとぶどう酒はイエスの御体と御血になります。ご聖体をいただくたびに、全てを与え尽くすイエスの思いを感じ取ることが出来るように。そして、イエスの思いが私たちの思いとなり、イエスの生き様が私たちの生き様となることが出来るように日々願いたいものです。

M. Pale Hera